動画配信が台頭した結果…「テレビが楽になってきた」 ヒットメーカー・高須光聖さんが語るバラエティーの現在地
幼なじみのダウンタウン松本人志さんに誘われ、24歳で放送作家としてデビューした高須光聖さん。「めちゃ×2イケてるッ!」「ロンドンハーツ」「水曜日のダウンタウン」…。30年以上にわたるキャリアで、世に送り出した人気バラエティー番組は数知れぬほど。今年でテレビ放送の開始から70年。そんなヒットメーカーに「バラエティーの現在地」について聞くと、意外な言葉が飛び出した…。(共同通信=奈良禄輔) ▽別世界、まるでテーマパーク ―テレビ業界に入る以前に見ていたバラエティーで、印象に残っている番組は何ですか。 「一番は『オレたちひょうきん族』。正月の『新春スターかくし芸大会』も大好きでした。歌手とか俳優とかすごい豪華な人たちが出ていて、お金もかかってて。『テレビってすげえなぁ』と思って見てましたね」 ―バラエティー全盛期ですね。当時のテレビはどんな存在でしたか。 「僕の中で面白いことっていうのは、テレビを見ることと友だちと遊ぶこと。二大巨頭で、それしか自分の周りにはなかった。実家が商売をやっていたんで1人でテレビを見る時間が多くて。学校で『あの番組は良かったよな』って(ダウンタウン)浜田(雅功)とかとしゃべってましたね」
―実際、作り手として入ったテレビ業界はいかがでしたか。 「別世界に来たような感じでしたね。テレビ局の食堂で秋元康さんが台本を書いていたり、美術の部屋に『いかりや長介様』と裏に書かれたカツラが置いてあったり。僕にとってはまるでテーマパークでした」 「でも最初の頃は、会議で自分の企画が通ったとしても『本当に面白いのか怖い』と感じていました。徐々にディレクターやプロデューサーが僕の意見に耳を傾けてくれるようになって、少しずつ自信に変わってきた感じですね」 ▽『毒蛇も生き物』の教育がいい ―世の中のコンプライアンス意識の高まりもあって、バラエティーも制約が多くなりました。 「2000年代に入った頃から会議に視聴率表が置かれるようになって、毎分の数字を見ながらどこが上がった下がったと研究する場になった。数字が落ちた企画は芽がないように思われて、やらないという判断がされるようになりました」