スペイン発の映画「太陽と桃の歌」…桃農家の受難と希望の物語、演じ手が魅力的なのには理由がある
2022年のベルリン国際映画祭で最高賞・金熊賞を受賞したカルラ・シモン監督の「太陽と桃の歌」(12月13日公開)は、スペイン北東部カタルーニャ地方の小さな町アルカラスで、桃の農園を営んできた3世代一家の物語。家族を演じる人々は、子供も大人も老人も、みんな生き生きとしている。それぞれの個性、生命力を感じさせる。その姿は単に魅力的なだけでなく、この映画が描き出そうとしているものと大きくかかわっている。「地主」に畑の土地の明け渡しを求められるところから物語は転がり始める。(編集委員 恩田泰子)
夏、実りの時期。桃農園を営むソレ家の人々が一家総出で収穫を始めたころ、明け渡しの要求は届いた。夏の終わりには、桃の木を伐採してソーラーパネルを設置するという。理不尽な通告に大黒柱のキメット(ジョルディ・プジョル・ドルセ)は憤るが、なすすべはない。
土地の権利について、キメットの父親・ロヘリオ(ジュゼップ・アバッド)は、今は亡き先代の地主と口約束を交わしていたが、契約書はない。その農園は自分たちのものだと証明する手立てがない。
先代の息子は「追い出さないですむように」「楽して稼げる」ソーラーパネルの管理を持ちかけてくる。キメットは取り合わず、まずは最後の収穫に打ち込むが、家族3世代、親、きょうだい、子供たち、それぞれに心を揺らしていて……。
家族の群像劇。最初は誰が誰だかわからないが、心配は無用。この映画、冒頭から目をひきつけて離さない。
まず目に飛び込んでくるのは、農園の外れで遊んでいる子供たちの光景。無邪気で、元気すぎるほど元気で、ずっと見ていたいと思うのだが、それはいつまでも続かない。ソーラーパネルの工事はすぐそこまで迫ってきていて、子供たちは遊び場を奪われる。何か大事なものが脅かされていることを、この短い一幕は鮮烈に語る。
一家の中心人物キメットは、本当は途方に暮れているのに、強気な態度。生活のための現実的対応を取った妹夫婦にキレる。契約書を交わしていなかったロヘリオを責める。キメットの妻と3人の子供は、彼を思いやりながらも、やりきれないものを抱えていく。深刻な話だが目をそらす気にはならない。それよりも、一人一人が個性的でいとおしいソレ家がどうなるのか気になる。