「有望な中学生に断られ続けた」“時代遅れ”になった名門校…帝京高サッカー部“異色の指導者”が再建に挑んだ話「縁故採用をストップした」
“有望な中学生”に断られた理由
当然、サッカーのプレースタイルも大きく変革した。 当時の帝京は中学年代の有望な選手を誘っても、なかなか来てもらえず苦労していた。そこで日比は「なぜ他校の方が魅力的だったんですか?」とヒアリングを実施。浮かび上がってきたのは所属リーグの格だった。 「2011年に高円宮プレミアリーグが創立され、プレミアリーグ、プリンスリーグ、都リーグというヒエラルキーができ、当時の帝京は都リーグにいました。うちの誘いを断った中学生に聞くと『プレミアやプリンスでプレーしたいんです』という答えが返ってきた。 選手を集めるには、少なくともプリンスリーグに昇格しなければならない。フィジカルに頼って短期的にトーナメントを勝ち上がるサッカーではなく、内容で上回って長期的にリーグを勝ち抜くサッカースタイルにしようと考えました」 日比が選んだのは中学年代にプレーした読売クラブのスタイルだった。闇雲にロングボールを蹴らず、パスをつないでじわじわゴールに迫っていくサッカーだ。 選択は間違っていなかった。2019年1月、帝京はプリンスリーグ関東への昇格を果たし、有望な選手が集まりやすくなった。 「今年1月のタイ戦で日本代表に選ばれた三浦颯太は、まさにその転換期にいた選手でした。三浦が高3のときにプリンスリーグへ昇格しました」
「全体練習を90分に限定した」
もちろん攻撃的なスタイルを実現するには、理論的な指導が必要だ。 日比は言語化に長けており、攻守において何をすべきかを具体的に伝えることができる。たとえば「縦方向をのぞいて相手を騙してからパスを出そう」、「相手がボールをうまくトラップしたときに、ディフェンスは突っ込んでしまうとかわされるよ。止まろう」という感じだ。 全体の練習時間もあえて90分のみ、選手の「もっとやりたい」という気持ちが自然に湧き上がるようにした。 「サッカーって頭を使う競技ですからね。強制的に長時間やらせても意味がない。単に走るだけの練習もほぼしません。走るための夏合宿も廃止しました。その費用でサッカーフェスティバルへ行って実戦を積んだ方が、はるかに選手が伸びますから」 ただし同時に、答えを出しすぎないことも心がけている。 「答えを示しすぎると、今の子供たちは思考を止めてしまう。たとえば何々をやって欲しいと伝えると、それしかやらなくなる。でもサッカーはセオリーや確率論がある一方で、個人のアイデアがそれらを覆すからおもしろいんです。答えを押し付けないようにしています」
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