2023年を振り返るアニメ評論家座談会【前編】 “宣伝戦略”の重要性にみる時代の変化
2023年、アニメーション業界の“ある2つの相反する事例”が示したのは、宣伝戦略の重要性である。 【写真】『【推しの子】』第2期のティザービジュアル 1つは、「Yahoo!検索大賞2023」アニメ部門の頂点に立った『【推しの子】』が、従来のアニメ愛好家の枠組みを越え、幅広い社会的影響力を発揮する作品へと昇華したこと。もう1つは、対照的に、宮﨑駿監督の10年ぶりの長編作品『君たちはどう生きるか』に対する若年層の反応だ。それは疑念を抱かせるものであり、未知の観客層と既存の観客層への宣伝戦略において複数の課題が顕在化した。 一方で、日本国内におけるアニメーション産業が盛況を極める中、国際的な視野においても動きが。特に、中国アニメーションの品質向上と市場規模の拡大は顕著であり、業界からは『雄獅少年/ライオン少年』を評価する声も数多く上がった。 リアルサウンド映画部では、レギュラー執筆陣より、アニメ評論家の藤津亮太、映画ライターの杉本穂高、及び批評家兼跡見学園女子大学文学部准教授の渡邉大輔氏迎え、2023年のアニメーション業界の動向に関する座談会を行った。2023年を象徴する作品に加え、日本のアニメ産業の持つ宣伝における課題や配信プラットフォーム、およびテレビ放送の役割、世界的な視野で見た日本アニメの現在地などについて語ってもらった。(すなくじら) 『君たちはどう生きるか』で感じた「80年代カルチャー」の区切り ーーまずは2023年のアニメ業界最大のトピックと言っても過言ではない、宮﨑駿監督の10年ぶりとなる長編アニメーション映画『君たちはどう生きるか』について、皆さんの率直な感想を聞かせてください。 渡邉大輔(以下、渡邉):前作から続く「レイト・ワーク」らしい要素を備えつつ、往年のアクションファンタジー性にも回帰していて、個人的には大変楽しめました。ただ今回、それ以上に印象的だったのは、作品そのものより、それが受容されるアニメを取り巻く状況の変化でした。この10年で、僕たちよりも若い世代のスタジオジブリや宮﨑駿に対するイメージが、 本当にガラッと変わったんだなと実感したんです。ちょうど今大学の授業で、 今期ずっとジブリをテーマにしてやってきているんです。そこで窺われるのが、今の大学生、いわゆるZ世代にとってはジブリにはとにかく馴染みがないということです。『ナウシカ』や『ラピュタ』などの80年代の代表作も意外なほど観ていないし、特に高畑勲作品はほとんど観ていない。今回の新作の公開時も、SNSで盛り上がっていたのは、やっぱり彼らより2世代くらい上の人たち……つまりは人格形成期にジブリ≒宮﨑アニメの全盛期が重なった30代、40代でしたよね。この変化にも、よく 「表象から体感へ」などと言われる、近年の映像の受容体験の根本的な転換が如実に表れていると感じました。 杉本穂高(以下、杉本):実際、『君たちはどう生きるか』は、宣伝も何もない状態で公開したからか、宮崎駿をよく知る僕ら世代の人がお客さんとして多かったですよね。映画館に行っても、このタイトルが若い人たちにどれだけ浸透していたかがよくわからなかった。内容的にも、どれだけ新しいファンを獲得できたか、僕にはわからないと感じました。ファミリー層の集客が鈍かったという話も聞こえてきます。 藤津亮太(以下、藤津):僕も大学で学生と関わりがあるのですが、渡邉さんがおっしゃった通り、最初に好きなアニメを書かせると、ジブリを挙げる人はここ2~3年で減りました。これは配信をしていないことが大きいのだと思います。今の大学生はレンタルビデオを借りる習慣がなく、そもそも実家暮らしでないとプレイヤーも持っていないので、ネット上で観られる作品が主要となっているんですよね。特に、Prime Video(Amazon)を契約している学生が多い印象です。 杉本:なるほど。宮﨑駿を追いかけてきた観客は、作中の夢やイメージについていろいろと意味付けできるし、解釈して楽しめます。でも、あの映画で初めてジブリに触れる人はどう解釈するのでしょう。 藤津:社会の中で、評価が二分された作品だとは思います。ただし過去作と比べると、物語の構造は思ったよりわかりやすいと思っています。比較対象として、例えば『千と千尋の神隠し』は 千尋が“あの世界へ行って帰ってくる”構造の中に、もう一回“銭婆のところに行く”という二重構造になってるじゃないですか。でも今回は、そういうことは起きてない。 杉本:確かに夢のような世界に行って帰ってくるというシンプルな構造で、若い人はどう捉えたのか……。反応がよくわからないですね。 渡邉:先ほどの藤津さんのビデオ文化の終焉という話題とも繋がりますが、カルチャーの変化という点で今年もう一つ感じたのが、「80年代カルチャー的なもの」の区切りです。1985年設立のジブリも80年代的なものの一つですが、今年は、YMOの坂本龍一さんが亡くなったり、北野武(『首』)や村上春樹(『街とその不確かな壁』新潮社)もそれぞれ新作が出ましたね。ただ、春樹の新作も正直、世間的にはほとんど話題にならなかった。『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』が公開された2013年の時点で「ジブリ的なものが終わった」という趣旨の話をしたこともあるのですが、改めて新しいフェーズに入ったのかなということを、いろんな場所で実感した年でした。 『葬送のフリーレン』のヒットから考えるアニメ世代の高齢化 藤津:一方で、その表象を楽しむ世代の人にうまく合った作品が、9月より放送された『葬送のフリーレン』なんじゃないですかね? 原作は少年誌での連載ですけど、温度感が中年向けのところがあるなと(笑)。熱くならないし、むしろ静かに静かに進んでいく。そういう意味では、『君たちはどう生きるか』然り、アニメ産業にも若干高齢化の印象があります。2000年頃、日常系アニメという言葉が広まる以前に、一時、大きな出来事が起きない作品が増えた時期がありました。この時もその理由として、アニメファンの平均年齢が上がっているからでは? という話がありました。結果として、その後の様子を見ると、ドラマチックな作品もヒットしているので、その考察が正しかったかどうかは難しいところなのですが。とはいえ1983年にビデオアニメが登場し、今も映像は配信会社によって売られていますが、そうやって映像を追いかけてきた人たちももう初老。いわゆる一般層は広がっても、コアなアニメファンの平均年齢はじわじわと上がっているはずなんです。今の40代ぐらいまではテレビも観るし、X(旧Twitter)も使うじゃないですか。だからテレビ放送すると反応があるけれど、今の20代が10年後にテレビを観ながらSNSで実況するかは疑問です。今、「地上波で放送する方が良い」という意見はよくわかるけれど、今後10年で変わるだろうと思っています。テレビ局の編成局中心主義的に考えると、アニメは、配信でもって最終的にビジネスが成立する形になったことで、編成局中心のビジネスとは関係なく成立するようになっています。だから映像事業局的な方法論で、放送外収入を見込んで、『葬送のフリーレン』に日本テレビが力を入れているという形になっているわけです。日テレは様々なアニメ関係会社に出資していたりするけれど、あまりシナジーは感じられなかった。逆に先日まで資本関係がなかった、特にジブリと縁が深く、『金曜ロードショー』で数字を稼ぐこともありましたし。ところが、『葬送のフリーレン』では株を持っているマッドハウスに話題の原作を当て、しっかりとヒットする構造を作った。TOKYO MX発の『鬼滅の刃』を持ってきたフジテレビより積極的だと思います。 杉本:テレビ局的な事情の話をすると、放送視聴率による放送収入がもう右肩下がりで、これは復活しないことがもう明白になっています。今テレビ局が力を入れてるのは放送外収入。それは配信だったり、IP展開だったり、イベント展開だったり……いろいろあるんですけど。こういうのを、アニメの人気作品が1個あると一手に回せるんですね。なので、どこのテレビ局の決算資料を見ても、アニメに力を入れると書かれています。その一番わかりやすい例が、やはり『葬送のフリーレン』ですよね。『金ロー』で、第1話~第4話まで放送したのは象徴的です。その後も金曜23時からの放送枠として新設された「FRIDAY ANIME NIGHT」枠で放送するなど、結構浅い時間に設定をしてきましたよね。テレビ局のリーチ力がまだある段階で、アニメの話題を作ることによって、 長期的にIPを展開していく戦略になっているんだと思います。藤津さんがおっしゃるように、10年後のことを考えるとテレビ局は今、中心事業をピボットさせないと間に合わないかもしれない、そういう危機感があると思います。 藤津:厳密には2023年の話題ではないですけど、めちゃくちゃ当たった『SPY×FAMILY』は、テレビ東京ではタイムシフト視聴率(録画などで見る人)がとても高くて、それで子供にも火がついて、小学生に『SPY×FAMILY』のファンが大勢いる形に展開できました。こういう形は、歴史的に言えばやっぱり読売テレビの存在が大きく、『名探偵コナン』を四半世紀でここまで大きく育てた背景もあります。元からヒット作ではありますが、 ここ10年~15年で、どんどん右肩上がりに興行成績を伸ばして、ついに2023年は『名探偵コナン 黒鉄の魚影』で100億に届きましたし。 渡邉:あと『葬送のフリーレン』でいえば、“冒険が終わった後の物語”というオープニングがやはり象徴的です。『すずめの戸締まり』にも似たテイストを感じましたが、「大きな物語」が終わった後にも、日常が続いていくという構成はすごく「令和的」な感じがします。いわば未知の冒険に旅立つ姿を描いた昭和や平成のファンタジーが、レヴィ=ストロース風に言えば「熱い社会」の物語だったとすれば、「戸締まり」や「冒険の終わりから始まる物語」というのは、いかにも令和的な「冷たい社会」の物語でもある。それは、『PUI PUI モルカー』のような最近のショートアニメ人気にもある種繋がるような要素でもある気がします。いわゆる「タイパ」という流行キーワードとも関連しますが、世の中がどんどん変わり、お金が回らなくなっている中で、コンテンツや物語、表現のあり方も変わっていると思いました。 杉本:残りの余生をどう過ごすかみたいな……(笑)。 渡邉:そうです(笑)。いかにも、社会全体が「余生」みたいな時代を象徴する物語だと思いました。 新トレンドとして定着しつつある「初回3話一挙放送」 ーー連続アニメにおける「初回3話一挙放送」が新しいトレンドとして定着しつつあります。この流れにはどのような背景があるのでしょうか? 杉本:今はアニメの作品数がすごく多いので、まずアテンションを取るだけで大変なんですよね。なので、アテンション合戦の末に出てきたネタっていうのが1つあると思います。 それこそ、『金ロー』で連続アニメが放送されたことはまさに典型的ですよね。 とはいえ、正直『葬送のフリーレン』の最初の4話をまとめて観る意味って、どれくらいあるかなと疑問に思いましたが……。その点では、『【推しの子】』はよかった気がします。 藤津:めちゃくちゃわかります(笑)。ただ、1話ずつだと「やっぱり地味だな」って観なくなる人の脱落率が上がるんだと思います。だから4話まで一気に観てもらって、キャラクターに親しみを持ってもらう。内容的にふさわしかったかどうかは別かもしれないですが、マーケティング的には正しかったように個人的には思いました。 杉本:それは大きいと思いますね。話は戻りますが、『【推しの子】』は日本だと映画館での先行上映の形をとってましたが、海外では配信だったんですよ。その後の話題のなり方が爆発的だったんですよね。内容も相まって、90分のインパクトと言いますか。多分、これがなかったら海外であそこまで当たらなかったと思うのでマーケ戦略的にも大成功です。 2023年を象徴するアニメとなった『【推しの子】』 ーー『【推しの子】』は「Yahoo!検索大賞2023」アニメ部門1位にもなるなど、とても大きな話題になりました。 杉本:『【推しの子】』が扱う「推し」という概念は、2023年で確実に曲がり角になったはずです。旧ジャニーズ問題、宝塚問題など、推し活は必ずしも良いことばかりなのだろうか、という問いがあります。この作品は、「推し」に対して両義的な部分を持っているので、時代の物語として的確だったと思います。過剰に否定しているわけでもなく、完全に肯定しているわけでもない空気感になっていますし……。 藤津:アクアの斜に構えた感じが、『葬送のフリーレン』が年配向けであるという話に対して、むしろ若い子向けだと感じました。あれくらいわかりやすく斜に構えているのは、痛快だなぁ。そういうキャラクターの魅力は強いと思います。 渡邉:私は、「推し」という文化との関連でいうと、最近流行っている転生ものを使った設定が非常に面白いと思いました。『明るい映画、暗い映画』(blueprint)などでも、ここ数年、私も「推し」について論じてきましたが、多くの論者も共通して指摘しているように、推し活の本質とは、対象=推しとファンとの距離の近さにあります。推し文化の台頭の時期がSNSの普及期と重なっているのも、そこに理由があります。例えば、以前は、ファンと憧れの対象との距離は遠く、関係は一方的でした。それは「スター」という言葉に象徴されています。手に届かない星だったわけです。でも、推しというのは、それがSNSの介在もあって極端に密接になっている。「押し」という響きの近さからも接触性のニュアンスがあります。その点、『【推しの子】』という作品は、まさにファンが推しの「子」に転生してしまう、人間関係の最も親密な「親子」になってしまうという設定で(笑)、まさに推し活(論)に対するある種の自己言及、メタ批評になっているところが興味深い。たまたまかもしれないですが、芸能界のドロドロした話からは、SMILE-UP.の問題などとシンクロしているようにも見える。これらの問題を本質的にラディカルに描いた、今年を象徴するコンテンツだと思います。 杉本:『【推しの子】』はいわゆるミステリー形式になってますけど、渡邉さんはミステリー評論家としてはいかがですか? 渡邉:昨年11月に刊行した『謎解きはどこにある』(南雲堂)でも問題にしましたが、現代のミステリをめぐる想像力では、一方で陰謀論にも発展するような「考察」への関心と、もう一方でポスト・トゥルース的状況をなぞるような唯一の真相などに関心がなく、個々の主観が信じることが「真相」で、それでいいのだというシニシズムが二極化していると思います。実は私は『【推しの子】』をなぜかあまりミステリとしては観ていなかったのですが(笑)、そういう意味では、確かにこの作品も、昨今人気の考察ドラマとも通じるような視聴者の考察欲を惹起する巧みな展開になっていると同時に、そもそもアイドル文化や恋愛リアリティ番組など、真実と嘘の対立を脱臼するようなリアリティが作中のいたるところにちりばめられている世界観が、ミステリとしても、とても現代的だなとは思います。 藤津:ミステリとしてうまくできているのは、後から証拠が出てきても嘘にならないように最初から設定が組まれていることです。最初はヒントがなく、少しずつ情報が出てくるので、後出しで答えを決められるような作りがうまいと思います。さすがは、連載漫画の作り方ですよね。ミステリーでは、事件の発生時点で手がかりが揃っていることが多いんですけど、そうでなくとも不自然さがない。 杉本:アイドルものとして受容もされているし、プロモーションのされ方も極めてアイドルものなのに、「あれだけ裏側を描いても、ファンがちゃんとついてくるというダブルバインドは一体なんなんだろう?」とは思いますよね。 実際、芸能界の汚いところって、現実世界でも周知の事実だからリアリティがあっていいということでしょうか。今年は、その周知の事実が改めてニュースになった年でもあるという点で、『【推しの子】』は、この2023年の空気にドンピシャだったと思います。 藤津:アイドルアニメはたくさん作られていますが、複雑なんですよね。リアリティラインを上げようとすると芸能ものになりがちで。ゲームベースのアニメが多く、キラキラ感だけを取りたいと思うと、リアリティラインが上がりきらないので、描けるものが限られてくる。その点、今年だと、『アイドルマスター シンデレラガールズ U149』は渋いところにきてましたよね。シンデレラガールズの中から、背の低い子だけ集めたユニットを作る。しかもプロデューサーになったのは、めんどうな企画ということで、押し付けられた若手で(笑)。作画も丁寧で、演出で魅せるところも多く、なかなか完成度が高い作品でした。だからそういう意味では、『劇場版アイドリッシュセブン LIVE 4bit BEYOND THE PERiOD』のヒットは、ザ・芸能界ものの『【推しの子】』と裏表だなと思うんです。これは、ライブなので、キラキラしか存在しない。バーチャルカメラを作って、100個ほどのカメラをセッティングし、スイッチングを行ってるんですよ。CGの精度が高い一方で、コンサート映像なのでカメラの切り返しがほとんどないのが特徴です。だから、コンサート映像としてリアルな仕上がりになっていました。1箇所だけ切り返しがある場所は、因縁のあるキャラ同士の組み合わせで、知っている人には特別な面白さがあったということです……。2016年に『KING OF PRISM by PrettyRhythm』が大ヒットしたことは、アニメ業界においては応援上映の分水嶺だと思っています。その前にも応援上映的なものも行われてはいましたが。 渡邉:2016年の『キンプリ』の応援上映は、確かに私も、人生でゴダールの『勝手にしやがれ』を観た時と同じぐらいの衝撃を受けましたからね(笑)。 藤津:真剣に観ないと、って感じですよね(笑)。アニメにおけるライブって、映画館で体感することだから。それで言うとね、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』もすごく体感寄りですよね。 杉本:あれはまさにゲームの映画化ですね。僕らがゲームをプレイしてきた体感をそのまま、ある程度のナラティブに当てはめたらこうなったみたいな。そのバランスが、非常によかったです。僕的には、これが“世界的に大ヒットした”意味はやっぱり大きいです。これを機に、任天堂が本格的に映画産業にも進出しそうになっているので。任天堂の持ってるIPの力の強さを証明できたはずです。 おそらく、キャラクターIPでディズニーに対抗できる、世界で唯一の会社なんですよね。それが突然のように映画産業に出てきた意味は、これからさらに大きくなってくるだろうと思います。 渡邉:没入型VRにも通じる、体感型ムーブに振り切ったっていう感じの、ゲーム的作品でしたね。ディズニーとの比較で言うと、最近ディズニーって、実写も含めて意識しすぎなくらいにマイノリティを出したり、マーベル映画と並んで(今やマーベルもディズニー傘下ですが)、ポリコレの負荷が強くなってると思うんですよ。もちろん、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』のマリオとルイージがイタリア移民の下層労働者だったりとか、アイデンティティポリティクスに関する部分はありますけど。極端な話で言うと、批評的に観てると「最近の“そういうディズニー”にもう辛くなっちゃった」みたいな声も少なからずあって。そういう時に、今回の『マリオ』は「単純にファミリーで冒険物語を楽しみたい」層にヒットしたのかなとも思います。
すなくじら