『パスト ライブス/再会』セリーヌ・ソン監督が語る、“あのシーン”の解釈とニューヨークへの愛
セリーヌ・ソン監督のデビュー作『パスト ライブス/再会』は、監督自身という思いがけないスターを生み出した。自らを重ねた作品の成功とその反響について本人に訊いた。 【写真付きの記事を読む】『パスト ライブス/再会』セリーヌ・ソン監督が語る、“あのシーン”の解釈とニューヨークへの愛 マンハッタン、イースト・ヴィレッジの雨降る朝、セリーヌ・ソンは黒いスラックスとヘザーグレーのTシャツに厚手の黒いレインコートを羽織ってやってきた。典型的なニューヨーク・シティのユニフォームである。私たちがトンプキンズ・スクエア・パークのベンチに腰を落ち着けた途端、突然鳩の群れがベーグルのかけらでも見つけたかのように私たちめがけて羽ばたいてきた。一瞬固まってしまった私たちだったが、すぐにおかしさのあまり噴き出してしまった。「なんてヒッチコック的!」と、彼女は言った。 ソンはニューヨークを、そしてこの街の予測不能な奇妙さを愛している。その底流にあるクリエイティブなエネルギーに彼女が初めて触れたのは、10年以上前にここに移り住んだときだった。「私のこの街への愛情は、おそらく旅行者のそれとは違います」と、彼女は言う。「私の場合、ネズミやランタンフライ(外来種の害虫)と一緒に暮らしている人間としての愛ですからね」 ソンの監督作『パスト ライブス/再会』は多くの意味で、ニューヨークとその奇妙な可能性に対するラブレターと言える。本作はスパイク・リーの『ドゥ・ザ・ライト・シング』やウッディ・アレンの『マンハッタン』と同じくらい、この街を独特かつ写実的に描き出した作品だ。昨年1月にサンダンス映画祭でプレミア上映されて以来、本作はシンガポールからセルビアまで、世界中のアートシアターでヒットを飛ばしてきた。 IP(知的財産)に頼ったブロックバスター映画がモノを言う現在のエンターテインメント業界にあって、大人の感情の機微を捉えた等身大のストーリーを描いたソンのブレイクは稀に見るサプライズだった。本作は今年のアカデミー賞で作品賞の受賞を争う候補となっただけでなく、ゴッサム・インディペンデント映画賞やニューヨーク映画批評家協会賞などの前哨戦でも主要な賞を獲得している。 ■無名の才能が開花する瞬間 初めての監督作品としては、鮮烈なデビューである。今年36歳となるソンはそれまでの数年間、Amazon プライム ビデオのファンタジー・ドラマシリーズ『ホイール・オブ・タイム』でメインの脚本家をサポートするスタッフライターを務めるなど、戯曲や脚本の執筆で経験を積んできた。しかし、一つの劇映画を指揮する監督という立場は、彼女にとってまったく新しい経験だった。 「彼女はまず、“コールシート”(映画の制作現場で用いる進行予定表)が何かを憶えなければなりませんでした」と話すのは、ヒロインの夫アーサーを演じるジョン・マガロだ。劇中でソン自身を投影したキャラクター、ノラを演じたグレタ・リーは、新人監督としてのソンに漲る自信にしばしば畏敬の念を抱いたという。「誰かがその才能を開花させる、まさにその瞬間を目の当たりにしているようでした」と、リーは言う。「一人の目撃者として、私にとっては一生に一度の経験です」 『パスト ライブス』は、数十年にわたる物語を語った作品だ。カナダに移住後ニューヨークへと移った韓国人劇作家ノラは、子ども時代の恋人ヘソン(ユ・テオ)とSkypeやFacebookを通じて再会を果たす。映画は初め、この二人のラブストーリーとして展開していくが、映画の中ほどで物語はある方向へと舵を切る。それは、自分が築いてきた人生と折り合いをつけるという、より壮大で普遍的なモチーフである。本作に対する批評家の反応について、ソンは言う。「世界と人間についての私の理解が正しかったのだと、確証を得ることができました」 映画で語られるテーマが、多くの観客の琴線に触れることはあるだろう。しかし『パスト ライブス』がそれ以上に稀有なのは、この作品がソンという予想外のスターを生み出したことである。全米脚本家組合によるロックフェラー・センターのストライキでのスピーチから、ニューヨーク・ファッションウィークへの出席まで、昨年彼女はあらゆるところに姿を見せた。 また、ソンと彼女の夫である作家ジャスティン・クリツケスのプライベートは、映画専門SNS「Letterboxd」に投稿する映画オタクたちの好奇の的となっている。ルカ・グァダニーノ監督による三角関係ドラマ『チャレンジャーズ』の脚本がクリツケスによるものと判明したときも、『パスト ライブス』で描かれる三角関係の真実が明かされるのではという声が上がった(この説をソンは一笑に付した)。 ■自らの人生を重ねたドラマ 『パスト ライブス』のファンがフィクションに現実を読み取ろうとするのも無理のないことだ。何しろ本作の大まかなプロットは、ソン自身の人生を下敷きにしているのである。ソンは韓国からカナダへと移住後、劇作家になるため再びニューヨークへと居を移した。ノラと同じく、彼女も白人の作家と結婚をし、その後子ども時代の恋人と再会した。さらには、ノラと同じくソンの父親も、ソン・ヌンハンという映画監督なのである(「私も一国では“ネポベイビー”と言えるかもしれませんね」と、ソンは笑った)。彼女が影響を受けたという作家はジェームズ・アイヴォリーからドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒト、日本の黒澤明まで、グローバルかつオタク的だ。 2018年に『パスト ライブス』に取りかかったとき、ソンはまず韓国語で脚本を書き、それから英語で執筆をした。彼女はまた、それを2カ国語で演出した。ユとリーは韓国語で、マガロとリーは英語で──。言葉の壁は、物語の緊張感を高める効果を生み出した。例えば、広く論じられているバーのシーンがある。ノラとヘソンがお互いを見つめ合いながら、韓国語で思い出を語り合う場面だ。二人のそばではノラの夫アーサーが耳をそばだてているが、会話の内容を追うことができないでいる。この状況はほとんど浮気だと感じる男性も観客のなかにはいるらしいと、私はソンに教えた。 彼女は笑って、その解釈について考えた。「男性が好きで、男らしさに惹かれる人間として、あれが弱さの表れだというのはよくわかりません」と、彼女は言う。「私の考えでは、アーサーがあの場所に座っているのは強さの表れですから……。私にとって、これほどセクシーなことはありません。その瞬間を二人だけのものにはさせない、と行動が起こせる男性ほど男らしいものはないのです」。彼女はそう言いながら自分を手で扇ぎ、興奮して火照ったという仕草をしてみせた。 自分のキャラクターについて、そして彼らを用いてどのようなシチュエーションを探究したいかについて、彼女がこれだけ明確なビジョンを持っていることは、プロデューサーたちにとってこの未知の新人監督に賭けてみようという気にさせるのに十分だった。ラリー・クラークの『キッズ』やポール・シュレイダーの『魂のゆくえ』といった作品の製作にそれぞれ携わってきたクリスティーン・ヴァション、パメラ・コフラー、ダビド・イノホサという3人のプロデューサーは、自分たちがリスクを冒していることは承知だった。それでも3人は、ソンの中に並外れた才能がちらつくのを感じ取ったのである。 「彼女は自身が語りたい物語をよくわかっていました」と、ヴァションは言う。「その監督が企画を十分にこなせるか、それだけでわかることもあるのです」。スティーヴ・マックイーン監督とも仕事の経験がある撮影監督のシャビアー・カークナーも、ソンの撮影現場での覚えの早さに驚いた一人だ。「セリーヌは自分が知らないことを瞬時に把握して、それをとてつもない速さで覚えていきました」と、彼は言う。「あんなことはそれまで見たことがありませんでした。撮影が完了する頃には、この映画をどう作ればいいのか、私の方がセリーヌから教えられる立場になってしまいました」 公園を後にしたソンと私は、彼女が好きだという近くのカフェに腰を落ち着けた。私たちはそこで、『パスト ライブス』が批評家によってウッディ・アレンやノア・バームバック、リチャード・リンクレイターらの作品群との比較で論じられていることについて語り合った。私は彼女に、自分はそれらとは別の作品を思い出したことを伝えた。アジアで大ヒットを記録したピーター・チャン監督による1996年の作品、『ラヴソング』である。中国大陸から香港、ニューヨークへと移り住む男女の複雑な恋愛模様を描いたドラマで、ウォン・カーウァイ監督の『花様年華』に出演する前のマギー・チャンが、映画スターとしてのしたたるようなカリスマを振り撒く作品だ。その比較に、ソンは顔を輝かせた。「あの映画大好き!」と言い、彼女は続けた。「『パスト ライブス』が何にいちばん近いかと聞かれれば、あの映画でしょうね」 『パスト ライブス』がニューヨークを舞台にした名作の系譜に連なる作品であることは間違いない。しかし同時に本作は“ニューヨーク映画”としては新しいタイプであり、西洋の映画史においても異質な作品となっている。映画の中のマンハッタンは昔も今も、きれいなブロンドの女性がマノロ ブラニクに身を包みウェスト・ヴィレッジをぶらつくような場所であることに変わりはない。しかし今では、韓国系カナダ人のクリエイターが恋に落ちたり、歩道で泣いたり、男性たちに対して力強さを見せる舞台でもあるのだ。 外国語が支配的な『パスト ライブス』の英語圏でのヒットは、数年前には考えられなかったことだ。本作のような映画の製作に門戸を開いたのは、ポン・ジュノ監督による『パラサイト 半地下の家族』のアカデミー賞での作品賞受賞だったとソンは考えている。「観客が字幕を読むのに慣れたのは、あの映画のおかげです」と、彼女は冗談めかして言った。 ソンは現在、2本目の長編作品『The Materialists』(原題)の製作に、再びA24、ヴァション、コフラー、イノホサとともに取りかかっているところだ。製作チームは詳細を明らかにはしようとしないが、ヴァションは1つのヒントを仄めかした。「彼女は毎回違う映画を作りたいと思っているように感じられます。同じような映画を2度は作らないタイプの映画作家に育っていくでしょうね」 しかし、このときのソンはまだデビューの余韻を楽しみながら、初監督作品が切り拓いた新たな生活に慣れようとしているところだった。昨年9月、彼女はグレタ・リーとともにピーター・ドゥによるヘルムート ラングのショーに出席した。インディア・ムーアやハリ・ネフといったイット・ガールに囲まれながら、予想外の注目を集めたのが新人監督ソンだった。 「彼女に会おうと、挨拶をしようと、そしてただ称賛を浴びせようと、本当に大勢の人が群れを成して押し寄せてきました」と、リーはそのときのことを振り返る。フロントロウのソンは、Tシャツにスニーカー、夫が脚本を書いた『チャレンジャーズ』宣伝用のキャップという、ごくカジュアルな服装をしていたという。 リーは笑いながら言った。「世界のどこへ連れて行ったって、セリーヌはセリーヌのままですよ」 From GQ.COM by Raymond Ang Translated and Adapted by Yuzuru Todayama