不発弾が爆発し4人が犠牲 聖マタイ幼稚園、事故50年で追悼集会 園児ら100人が祈りささげる
那覇市小禄にあった聖マタイ幼稚園構内で1974年に不発弾が爆発し、3歳の女児を含む4人が犠牲となった事故から2日で50年。現在は豊見城市にある園で1日に追悼集会が開かれ、園児と職員ら約100人が平和への祈りをささげた。 【写真】4人が犠牲となった聖マタイ幼稚園の不発弾爆発事故の現場 集会は園庭の予定だったが、雨のため園内のホールで開催した。園児は聖歌「愛をください」などを歌い、園庭に立つ石碑の碑文を朗読した。 礼拝に参加した元園長で牧師の高良孝太郎さん(75)は「戦争がなければあの事故は起きなかった。人助けをし、周囲を笑顔にすることで平和が訪れる」と説いた。 高良さんは9年前の碑建立に園長として関わった。「人は過去のことを忘れていく。記憶を風化させないために悲劇を発信する必要がある」と語った。 事故が起きたのは園でひな祭り会が行われていた最中で、園児約170人と保護者が園舎にいた。園庭では園児のきょうだいが遊んでいて爆発に巻き込まれた。園は89年に現在の場所に移転した。(社会部・城間陽介) (写図説明)不発弾事故による犠牲者を悼み、平和への祈りをささげる子どもたち=1日、豊見城市・聖マタイ幼稚園(城間陽介撮影)
【関連記事】
- 不発弾が爆発した園庭 当時の職員ら「思い出すのがつらい」 聖マタイ幼稚園事故から50年 癒えない心の傷
- 「外は黒煙で真っ暗。ああ、私はきょうで死ぬんだなと思った」50年前の事故 ひな祭りの最中、不発弾爆発【土中の戦争 聖マタイ園 不発弾事故50年(上)】
- 「人が埋まっている」 曲がる重機や飛び散る汚泥 当時目撃した宮国さん「忘れることができない記憶」【土中の戦争 聖マタイ園不発弾事故50年(上)】
- 沖縄に眠る不発弾は推計1878トン、建築現場で磁気探査したいが… 交付金減で県の予算不足 施主、苦渋の決断【土中の戦争 聖マタイ園 不発弾事故50年(下)】
- 沖縄の無人島で不発弾580発を回収 戦後、漁師が火薬を抜き取り爆破漁に使う 「危険だが、当時は貧しくて…」