球界に”衝撃”…まさかの退団を経験した大物(6)「所属なし」からドラゴンズで”大復活”
球界に入る者がいれば、去る者もいる。毎年10月にはドラフト会議が開催され、新たにプロ入りの切符を掴むが、一部の現役選手は戦力外通告などで厳しい現実が叩きつけられる。過去には、まさかの形でチームを退団した選手も数多く存在。そこで今回は、戦力外通告または自由契約を経験した大物選手を紹介する。
中村紀洋
出身:大阪府 投打:右投右打 身長/体重:180cm/93kg 生年月日:1973年7月24日 ドラフト:1991年ドラフト4位 いてまえ打線の中軸を担い、美しいアーチを数々描いた中村紀洋も自由契約を経験した選手である。 渋谷高校(大阪府)を甲子園に導いた中村は、ドラフト4位で大阪近鉄バファローズに入団。3年目の1994年から出場試合を増やすと、1995年から2004年まで2桁本塁打を記録。近鉄が優勝した2001年はキャリア唯一の打率3割超え(.320)・46本塁打・132打点と大暴れした。 その後、2004年オフにメジャーリーグへの挑戦を表明。ロサンゼルス・ドジャースと契約したものの、思うような結果を残せず1年で退団し、2006年にオリックス・バファローズで日本球界に復帰した。だが、2006年はけが続きのシーズンとなり、成績を「公傷」とみなしてほしい中村と球団が対立。契約交渉はうまく進まずに自由契約となった。 「所属先なし」となった中村に手を差し伸べたのが、落合博満が率いる中日ドラゴンズ。テスト生として合格を受けた中村は、育成契約からのスタートに。その後は自らの手で支配下契約を勝ち取り、最終的には2007年日本シリーズのMVPに輝いた。テスト生から這い上がった中村の活躍は、今後も語り継がれていくことだろう。
ベースボールチャンネル編集部