中日4位・石伊雄太、『尾鷲のレジェンド』別当薫さんに続く 「活躍して形として残せるような選手に」と決意
中日ドラフト4位の石伊雄太捕手(24)=日本生命=が27日、出身地の三重・尾鷲市役所を表敬訪問。尾鷲ゆかりの名選手、別当薫さんに続く決意を示した。日本球界初のトリプルスリー達成など球史に名を残した別当さんが本籍を置く尾鷲市には、銅像やその名を冠した野球大会が存在。石伊も「野球選手であった証しを地元に残すような選手」を目指す。 眼前には尾鷲湾、振り返ればヒノキの木が生い茂った山々がそびえ立つ。「自然あふれるところが尾鷲のいいところ。高校から離れてしまいましたけど、帰ってくると落ち着く場所です」。地元に帰ってきた石伊はリラックスしていた。 名古屋から車で約3時間。南北に長い三重県で南部に位置する尾鷲市。林業と水産業で栄え、現在は人口1万5000人の街は、黎明(れいめい)期のプロ野球界を支えたレジェンドにゆかりがある。選手、監督として活躍した別当薫さんだ。 強打の外野手として大阪タイガース(現阪神)などで活躍。1950年には打率3割3分5厘、43本塁打、34盗塁。岩本義行(松竹)とともにプロ野球史上初のトリプルスリーを達成した。監督としても手腕を発揮し、88年には野球殿堂入りを果たしている。 別当さんは材木商を営む父親の出身地で、本籍地でもある尾鷲市を第2の故郷とした。尾鷲市営野球場(現在は新球場建設のため解体作業中)には銅像があり、市内にはその名を冠した行事も残る。毎年11、12月に開催される「別当杯争奪軟式野球大会」は今年で38回目を数える。 尾鷲市民なら知る別当さんの存在。石伊もその一人だ。宮之上小4年のときから所属した尾鷲野球少年団での練習は、市営野球場メイン。球場隣の銅像は見慣れたもの。「最初はプロだとは思わなくて。年齢を重ねるにつれて、存在の偉大さに気づきました」。さらに高3冬には別当杯に出場して優勝した経験もある。地元に根付く偉大な先人の功績を感じながら「尾鷲に自分が野球をやっていた証しが残るのはうれしいこと。活躍して形として残せるような選手に」と決意を新たにした。
中日スポーツ