「俳優は聴者の仕事だと思っていました」ろう者の俳優・忍足亜希子が感じる映画業界の変化と演技を通して世の中に伝えたいこと
「手話は見る言葉」という吉沢亮のコメントがうれしかった
――幼い頃の大は「お母さん大好き」ですよね。でも成長して次第に自分の親は、友だちの親とは違うことに気づいて悩み始めるシーンは、大が家族の問題に初めてぶつかったと思いました。 両親に聴力がなく、手話でしか会話できないことを友だちにはからかわれるし、「なぜ僕の家だけ」と葛藤を覚えはじめます。思春期と重なったこともあり、大は反発して手話で話さなくなっていきますが、明子は負けずにどんどん手話で話しかける。でも大は振り向いてくれない……という時期が長く続くんですね。 私は息子だからこじらせたのかなと思いました。娘だったら、こんなに長く親と距離を取らなかったのではないかと思います。 ――忍足さんには娘さんがいるんですよね。 12歳の娘とはコミュニケーションも多く、「お母さん、おもしろいね」とよく言われます(笑)。親子ですがいつも対等な感じがするんです。私たち親子は手話のコミュニケーションがいい方向に作用しているのかもしれません。 ――息子の大を演じた吉沢亮さんも本作では手話に挑戦していました。共演はいかがでしたか? 素晴らしかったです。吉沢さんは、普通のセリフも話しつつ、家族のコーダとしての役割、そして自分の気持ちを手話で表現するという、3つの難しい要素をこなさなければなかったので、撮影の合間などは声もかけられないくらい役作りに集中されていました。 過酷だったと思うので「吉沢さんが手話嫌いにならないといいな」と心配をしていましたが、「手話は見る言葉、相手と目を合わせなければ会話が成立しないんですね。すごくおもしろいです」と言ってくださって、ホッとしました。
なりたい仕事に就けない、夢は持てないと言われてきた
――忍足さんのキャリアについて聞きたいのですが、1999年に映画『アイ・ラヴ・ユー』で、日本初のろう者の主演俳優としてデビューしましたが、子どもの頃から俳優に憧れていたのでしょうか? 俳優になろうなんて、まったく考えていませんでした。俳優は聴者の仕事だと思っていたので。演じるときは、スタッフやキャストの皆さんとの言葉のコミュニケーションが必要ですよね。だから、ろう者には向いていないと思っていました。 それに子どもの頃、ろう学校の先生に「キャビンアテンダントになりたい、俳優になりたい、いろいろな将来の夢があるかもしれないけど、ろう者は会話ができないから無理だよ」と言われたんです。だから俳優の仕事は選択肢にありませんでした。 ――映画のオーディションに挑戦したのは、特別な理由があったのですか? 友だちがとても熱心に『アイ・ラヴ・ユー』のオーディションを受けなよ!と勧めてきたんです。「じゃあ受けてみようかな」と思ったのがきっかけですが、もうひとつ理由があります。それは、この映画に出演すれば、本当のろう者の世界をもっと世間の人に知ってもらえるかもしれないと思ったからです。 ――ろう者のイメージを一新したい気持ちがあったのですか? 映画やドラマで、ろう者が登場する作品は多くありますが、どれも描き方が暗いんです。“孤独、寂しい”というステレオタイプのろう者として描かれることが多く、「そうじゃないのに」と思っていました。手話にもいろいろなスタイルがありますし、ろう者にもいろいろなタイプの人がいます。リアルな“ろう者の世界”をみなさんに知ってほしいと思いました。
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