エッフェル塔が建ったときにフランスで起きた「強烈な反発」をご存知ですか? そこに現れた「時代の精神」
「ヤンキーの夢」
私たちが生きている社会は、いったいどのような空気や風潮、あるいは雰囲気のうえに成り立っているのか……私たちはときおり、このような、大きく、茫漠とした問いを前に立ちすくんでしまうことがあります。 【写真】これは珍しい…エッフェル塔の「建設中」の姿 こうした問いについて考えるためには、これまでの歴史のなかで、どのような思想がつむがれてきたのかを知ることが必要になります。 私たちがそうした知識にふれるうえでいまもっとも便利な書物が、『徹底討議 二〇世紀の思想・文学・芸術』です。タイトルのとおり、3人の圧倒的な実績を誇る研究者が、20世紀のさまざまな思想や文化のあり方について徹底的に討議した様子をまとめたもので、少し読むだけで、多くの知識が得られます。 たとえば、19世紀から20世紀にかけて、文化の重点がヨーロッパ(とくにパリ)からアメリカに移ったときの雰囲気について。そこには、覇権を握り始めたアメリカに対する反発から、アメリカを「物質文明」の国であると批判的に見るような視線が育っていたとされます。それは、日本とヨーロッパである程度共有された雰囲気でした。 著者の一人であるフランス文学研究者の松浦寿輝氏(東京大学名誉教授)はこう語っています(一部、読みやすさのため編集しています)。 〈(前略)フランス語から英語への覇権交代、パリからニューヨークへの文化の重点移動という問題ですが、昔、日本の論壇でよく使われていた言葉の一つに、「物質文明」というのがあったでしょう。つまりアメリカはいま繁栄しているけれども、あるいは繁栄しているように見えるけれども、結局は「物質文明」でしかないのだ、と。 昭和十七年に行われた京都学派による例の悪名高い「近代の超克」座談会でも、アメリカは一種の悪役というか、軽蔑的に扱われている。簡単に言ってしまうと、アメリカ流の物質文明には精神が欠如している、と。 物質文明なんて、英語でもフランス語でも訳しようがない変な言葉だと思いますけれども、日本では、そういうジャーゴンがあり、それが、旧制高校的なヨーロッパ崇拝というのか、一種のカリカチュア的な固定観念と連動して、対米戦争の根拠付けに、少なくとも間接的には援用されることになった。物量なにするものぞ、こっちには大和魂がある、みたいな文脈で。 それはもちろんヨーロッパの側にもあった。一八八九年にパリに建ったエッフェル塔は、保守派の文人、芸術家から総スカンを食らうわけですが、その批判派の一人だった詩人のフランソワ・コペはエッフェル塔を揶揄する詩のなかで、「失敗した畸形的作品、/夜の色の醜い巨像、/鉄の塔、ヤンキーの夢」と書いている。 「石」という古代ギリシャ以来の高雅な素材でなく「鉄」などという物質文明――という言葉は使っていないけれど――の産物である素材で建てた塔なんてものは、「ヤンキーの夢」でしかない、というわけです。精神の営みを刻み込むのにふさわしく美を体現できる「石」に対して、「鉄」は単なる有用・便利な――そして醜い――物質でしかないんだ、と〉 19世紀末から20世紀に起きたアメリカへの反発が、「物質文明」に対する批判というかたちをとったこと。これを知っておくだけで、たとえば「物質文明」という言葉が使われるときに、そのことに鋭敏になれるかもしれません。 * さらに【つづき】「あの『ロリータ』の著者と三島由紀夫は、「フロイトぎらい」だった…そこから見えること」(9月22日公開)の記事でも、20世紀にあらわれた特徴的な時代の精神について、くわしく解説しています。
群像編集部(雑誌編集部)