大谷翔平とともに進化を続けるドジャースタジアム 大規模改修から見えてくる未来像
第3回/全4回:ドジャースタジアム大型改修の目的と背景 26年ぶりの世界一に輝いたロサンゼルス・ドジャースがこのオフ、1億ドル(150億円)の資金を投入して本拠地・ドジャースタジアムの改修を行なっている。 その責任者のジャネット・マリー・スミス氏は、これまで全米各地の野球場のリノベーションに携わってきた人物。第2回では選手たちが利用するクラブハウスの重要性について説明したが、今回はメジャーリーグにおける野球場の歴史、そのなかにおけるドジャースタジアムの価値について触れる。 第1回〉〉〉王朝への第一歩 稼いだ利益はさらなる強化のために再投資第2回〉〉〉スタジアム1億ドル改修の責任者にインタビュー 【19世紀に誕生した野球場の変遷】 ジャネット・マリー・スミス氏はインタビューのなかで、このオフ、1億ドル(150億円)をかけたドジャースタジアムの改築について、次のように話していた。 「長年この仕事に携わり実感しているのは、野球場は常に進化し続けるということ。新しいテクノロジーが登場し、スポーツ界のマーケットも年々変化し、ファンが野球観戦に求めるものも変わってくる。それに対応し、進化に寄り添い続けることが、私たちの使命です。 ドジャースタジアムは建てられてから60年以上が経ちます。こんなに長期間にわたって存在し、リフォームを続ける建物はアメリカでも珍しいですが、それだけ長年、大勢の人々を集客し続けているということでもあります」 野球場は、19世紀に誕生した。現代野球の起源は、ニュージャージー州ホーボーケンにあるエリシアン・フィールドで、この広大な公園では、ニューヨーク市の実業家たちが1840年代半ば頃から組織化された野球の試合やクリケットを楽しむために集まっていた。初期の野球場の名前には「フィールド」や「パーク」といった言葉が付いていた。現在も残るMLBの最古の球場は、1910年代にできたボストンのフェンウェイパークとシカゴのリグレーフィールドである。 野球場の名称に「スタジアム」が加わるのは1920年代だ。全米で、大学のアメリカンフットボールが人気を集めるにつれ、小規模な大学の競技場やトラックは、大規模なスタジアムに取って代わり、建設されていく。1923年、「ベーブルースの建てた家」と言われる旧ヤンキー・スタジアムも生まれている。 ドジャースタジアムは大規模球場として、1962年に開場した。1960年代半ばから70年代にかけて、アメリカでは人工芝の多目的スタジアムが流行したが、その前に建設された最後の野球専用施設のひとつだった。 ロサンゼルス市のダウンタウンから見て北側にあるチャベス渓谷のなかに位置し、自然と調和したデザイン。ホームから見て、センターの背後に、広大なエリジアンパークの緑が広がり、ヤシの木が並び、遠くにサン・ガブリエル山脈を見渡せる。 建物も60年代としては未来的なイメージで、パステルカラーを使い、外野スタンドのてっぺんにジグザグの金属屋根、六角形のスコアボードなどが特徴的だった。5万6000人収容、チームカラーのドジャーブルーをまとったファンが埋め尽くす。殿堂入りの名監督トミー・ラソーダは「地球上の青い天国」と呼んでいる。60年代に3度ワールドシリーズ進出(世界一は2度)、70年代も3度、80年代は2度(世界一は2度)と栄光の時代だった。 第4回(全4回)につづく
奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki