平井 大の“人生を大きく変えた1曲”は?「このきっかけがなかったら、僕がステージの中心に立って演奏することはなかった」
女優の永野芽郁(ながの・めい)がパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「三菱重工 presents 永野芽郁 明日はどこ行こ?」(毎週土曜11:30~11:55)。「チャレンジ」をキーワードに、永野がリスナーと一緒に“新たな世界に一歩踏み出す”ヒントを探るラジオプログラムです。ゲストやリスナーの「人生が動き出した瞬間」について伺っていきます。 10月19日(土)と26日(土)の放送では、シンガーソングライターの平井 大(ひらい・だい)さんがゲストに登場。19日(土)の放送では、平井さんのターニングポイントとなった曲などについて伺いました。
◆人生を大きく変えた1曲は?
永野:ここからは平井さんにいろんなお話を聞かせていただきたいなと思います。最初に伺う質問は「平井 大のターニングポイントとなった曲は?」です。そう思える作品だったり瞬間のお話を聞かせていただけますか? 平井:一番大きいのは「ONE LOVE~Pacific Harmony~」(2011年)です。これは僕がデビューするきっかけとなった1曲です。それまでの僕は楽器を弾くのが大好きだったので、曲を作ったり誰かに提供したりしていたんですね。自分の曲でもインストゥルメンタルで演奏するスタイルだったんですけども、初めて歌を歌うことに挑戦するようになりました。 永野:それはなぜですか? 平井:ハワイの大きいフェスティバルがあって、それの公式イメージソングを作ってくださいというオファーをいただきました。ただ、それまでお客さんを前にして歌を歌ったことがなかったんですよ(笑)。 永野:ええ~!? 平井:だから、インストゥルメンタルの曲を作るんだろうなと思って「いいですよ」と受けたんですけども、それが歌入りの曲だったんですよね。「歌入りなら無理だよ!」と言っていたら、プロデューサーから「歌を歌わないと金にならないから」と言われて。それで、お金にならないと困るなって思ったんです(笑)。 永野:そうですね(笑)。そこから、歌うことがスタートしたんですね。 平井:このきっかけがなかったら、僕がみなさんの前でステージの中心に立って演奏することはなかったということです。 永野:そのプロデューサーさんに感謝です! 平井:今でも一緒にやっているんですよ。 永野:そうなんですね! まさかスタートがそのような形だったとは驚きです。 平井:初めてステージの真ん中に立って歌ったのはハワイだったんですよね。それまではインストゥルメンタルで自分の感情をどう表現しようかと考えていましたが、そこから言葉に乗せて自分のメロディーを発信するようになりました。 永野:では、この楽曲の作詞もご自身でされたのでしょうか? 平井:そうですね。いろいろ直してもらったりしながら、右も左も全然わからないような状況で書いてみました。 永野:そこからご自身で作詞作曲をされるスタイルを築き上げられたんですね。 平井:今でも歌詞はわかんないですけどね(笑)。 永野:何をおっしゃいますか! 私だけじゃなく、みんな平井さんの歌詞に勇気づけられて過ごしていると思います。 平井:すごく嬉しいです。 番組では他にも、平井さんの幼少期のエピソードなどについて伺う場面もありました。 (TOKYO FM「三菱重工 presents 永野芽郁 明日はどこ行こ?」2024年10月19日(土)放送より)