『Gのレコンギスタ』の10年 富野監督は何を描きたかったのか…真の完成は劇場版です
「子供に見てもらうため」のはずが、大人にも理解できない難解さに
これだけ複雑な「ガンダム」作品を、富野監督はどういうつもりで作り、何を伝えたかったのでしょうか。かつてメディアの取材に対し富野監督は「子供に観てもらうため」「ガンダム(シリーズ第一作)よりも残る作品」を目指したとハッキリ述べています。それは「根本的にガンダム離れをしなければならない」、つまりガンダムのブランドが通じる40代に向けて作ると先細りになるという危機感も後押ししたようです(MANTANWEB「富野由悠季監督:『Gのレコンギスタ』を子供向けに作った理由 スマホ時代に警鐘」2019年11月23日)。 深夜枠であったことはさておき、放送後に子供どころか大人から挙がっていた声は「情報量が多すぎる」「説明不足で、話が頭に入ってこない」というものでした。子供に観てもらう以前に、大人でもついて行けなかったのです。 一例をあげれば「キャピタル・ガード」は自衛組織、「キャピタル・アーミィ」は同じ国家内にある別組織で、しかもアーミィは裏でゴンドワンから支援を受けています。その説明は劇中ではほとんどなく、混乱を誘うのも無理はありません。 富野監督が子供向けを意識していたのは、実はベルリとアイーダが宇宙の名家「レイハントン家」に生まれた姉弟であり、G-セルフも基本的にはふたりだけが動かせる(生体認証)という、昔ながらの「選ばれた血筋」設定をしていたことでもうかがえます。肉親が残してくれたスーパーロボットという、『マジンガーZ』みたいな分かりやすさですね。 しかし、主役のふたりを取り巻く状況があまりに複雑であり、それを説明するのも全26話という短さ(「ガンダム」シリーズ作品としては短い)では舌っ足らずで終わってしまいました。G-セルフが『ドラゴンボール』みたいな動きをするロボット作画はすごかったのですが、お話の理解を助けてくれなかったのです。
劇場版5部作こそ『Gレコ』真の完成形!
そうした「伝わらなさ」を誰よりも認識したのが、ほかならぬ富野監督でした。「映画でいうところの0号、試作品になってしまった」との反省を込めて、2019年からは劇場版5部作を相次いで送り出しました。 単なる編集版ではなく、新作カットを追加して再構築したものです。「TV版で決定的に欠けていた部分を手直ししてますね」とご本人も言っており(週プレNEWS「ガンダム40周年。富野由悠季監督が劇場版『Gのレコンギスタ』を語る『“脱ガンダム”のつもりが、“ガンダムの呪縛”に囚われていた』」2019年11月29日)戦いのあいまにひと言ふた言足すばかりか、幕間でじっくり状況を説明するシーンまで加えられています。 ベルリのライバルである「マスク」こと「ルイン」も、TV版ではことあるごとに「自分は『クンタラ』出身」だからと嫉妬心や敵がい心を語っていたものの、「クンタラ」が何かは言及していません。そこは劇場版でも長々と説明はしないものの、ベルリはエリートの血筋、自分は虐げられた人々(被差別階級)の末えいだと、負の感情を「伝わるように」口にしています。 ほかGセルフの最凶兵器「フォトン・トルピード」が艦隊を一瞬で殲滅できる(光子に変換し、バッテリー補充も出来る)恐ろしさがきっちり描写され、マスクとベルリがスペースコロニーを背景に超高速バトルを会話付きで繰り広げるなど、物語を充実させつつ、「ロボットアニメ」としての満足度も爆発的に跳ね上がっています。 おそらく『Gのレコンギスタ』をTVシリーズだけしか観ていない人たちは、「ワケの分からない消化不良アニメ」として記憶していることでしょう。富野監督が本当に伝えたかったことを受け取るためにも、絶対に劇場版5部作を観るべき! お子さんがおられるなら、家族で鑑賞することをお勧めします。
多根清史