書くことが好きだけれど、書くために生きているわけではない――くどうれいんの現在地
---------- 4月に新たなエッセイ集『コーヒーにミルクを入れるような愛』と文庫版『虎のたましい人魚の涙』を同時刊行されたくどうれいんさん。注目作家による最新エッセイ集の「本の名刺」をお届けします。 ----------
ネタ切れになったらどうしよう
連載の締め切りはなるべく重ならないように配置している。一日から五日ごろにひとつ、十五日にひとつ、二十日にひとつ、月末にひとつ。群像の連載の締め切りはいつも月の最初にある。もう四月か、と思えばそれと同時に(なに書こ)と思う。そういう暮らしになってもう三年半経つらしい。 「群像」でエッセイの連載の依頼をいただいたとき、正直なところ悩んだ。なにがなんでも引き受けたい一方で、原稿用紙十枚のエッセイを、毎月、それも「群像」に載るクオリティで出せるのだろうかという不安があった。 それまでエッセイは原稿用紙四、五枚のものしか書いたことがなく、その倍以上のボリュームで書く想像ができなかった。いまでこそインタビューでは「エッセイにはできるだけくだらないことを書きたい」と言っているけれど、いざ書くとなればこれまでの人生における鮮やかな台詞や印象的な状況のことを書き出していたわけで、要は、わたしは、「ネタ切れ」がこわかった。散々くだを巻いたが最終的には「大丈夫、慣れます」という編集長の言葉を信じて引き受けた。 結論から言えば、書けたし、慣れた。原稿用紙十枚のボリュームにどれくらいの内容を盛り込むことが出来るのか、そのお皿の大きさを理解するまでに時間はかかったけれど、三年以上書いたいま、十枚書くことはわたしにとって以前ほどの大仕事ではなくなった。筋トレのようなもので、ずっと重いものを持ち上げていればいままで大変だったものが軽くなる。 それまでは(まだ六枚! )(ひい、あと二枚も! )と途方に暮れるほど長く感じた原稿用紙十枚にもすっかり慣れ、いまでは原稿用紙三枚のエッセイのほうが短くて大変ということもある。いよいよ筆が乗ってきた、と思う頃にはもう文字数が超過してしまうのだ。我ながら書き終えるたびに不思議なのだけれど、原稿用紙三枚のエッセイを書くのも、原稿用紙十枚のエッセイを書くのも、わたしにはちょうど同じくらいの時間が要る。