“蓮舫新知事”なら神宮外苑再開発は中止? 東京都知事選の注目争点から考える、リーダーが下す「事業中断」の評価
■ 国立市のマンション解体騒動も… しかし、一度決まった事業を途中でやめることはできない、というのは一つの神話である。過去には、すでにかなり工事が進んでいたにもかかわらず、「世界都市博」が中止されたという例がある。1996年3月から開催される予定であった都市博は、1995年5月31日に当時の青島幸男東京都知事の公約に基づく決断により中止された。 つい最近も、国立市で完成間近のマンションが解体されることになったとの報道があった。報道によれば、富士山の眺望を遮り、周辺の景観を乱すことが理由とされている。事業者は6月4日に事業の廃止届を国立市に提出したという(朝日新聞デジタル「完成間近の国立市のマンション解体へ 「富士山と重なる」と景観懸念」2024.6.7)。 このような中止の判断に対しては、現在の価値観ではマイナスの評価が与えられがちである。一度始めた事業は貫徹されるべきであり、途中でやめるのは悪いこと(投げ出し)と思われている。その結果、関係者の多くが本音では「やめたい」「やめるしかない」と思っていても、なかなかやめられない、という事態が生じる。 つまり事業をやめられない原因の一つは、社会の価値観と制度が、「やめる」という判断をマイナスにしか評価しないからである。しかしこのような評価は改められるべきではないか。時代の変化により不必要になった事業や、環境に悪影響を及ぼすことが判明した事業については、中止するという決断も合理的であり、中止すると決断した人は称賛されるべきではないか。 熟慮の結果、事業を中止した人を褒め称えるというのは、あながちおかしな話ではない。例えば登山隊のリーダーが、途中で天候が悪化したときに下山(登山の中断)を決意し、無事に山から下りた場合には、そのリーダーは非難されるのではなく称賛されることだろう。逆に、悪天候の中、初志を貫いて山頂を目指した結果、登山隊を遭難させたリーダーは、少なくとも賢明とはいえないだろう。 同じように、状況が変わり、事業(登山)が成功しないことが分かった場合に、その事業(登山)を途中でやめることを決断できたリーダーこそが、称賛に値するのである。 あるいは見込みのない事業に対し、これまで巨額の投資をしたからという理由でさらなる投資を続ける経営者よりも、見込みのない事業への投資を打ち切る決断ができる経営者のほうが、優れた経営者として評価されるであろう。