「巨乳の母に感謝しかありません」 嫌で嫌で仕方がなかった自分の胸を“ポジティブ”に考えるように
母には感謝しかない
――今も自分の胸に関しては嫌なのでしょうか。 やっぱりこの胸があったからこそ、テレビに出 たりすることができたと思うんです。胸でボタン飛ばして、お金をいただいたり、疲れた世の男性を癒やすことができたりしたことを考えると、ありがたいですね。巨乳の母に感謝しかありません。 ――そうした明るくポジティブな感じは昔からですか。 もともと、お笑いが大好き。私、八百屋の娘なんですよね。テンションの低い八百屋さんってあまりいないと思うんです。親もテンションが高くて明るいです。だから、何かネタにされることは好き。ツッコミよりボケている方です。 ――悩んだりすることはあるのでしょうか。 テレビに出た時は毎回、あそこでなんで、あのワードを言えなかったんだろうと思いますね。今後につなげるために、良い意味で悩みます。笑いを取るために必死なんです。自分のVTRは何度も見直しますし、一人で反省会もやっています。 ――そうなんですね。 あと、番組で何人のゲストが来て、自分の出演が何分使われたかとか、CMを跨いで出演したのは誰かとか、チェックしちゃいます。自分のVTRが一番長いと、喜びながら笑顔で寝ることができるんです。 ――体を張ったりするのは大変そうに見えます。 昔はテレビのディレクターさんや作家さんが厳しい方が多くて……。特に、ミニスカポリスのディレクターさんには、めっちゃ怒られながらやっていたんです。ただ、そこで本当に鍛えられたから、今があると思っています。最近、江頭2:50さんとお会いした時にも、江頭さんと「あの時のテリー伊藤一派は本当に厳しかったよね」って話が出るくらいに厳しかったです。 ――江頭さんとは交流が深いですね。 先日、横浜で開催された「エガフェス」にも出演させていただきましたが、江頭さんとは今でも頻繁に連絡を取り合っています。お互いにテリー伊藤さんに育てられ、過酷なロケも歯を食いしばって頑張って乗り越えてきたという共通点も、関係しているのかなと思います。実は私の所属事務所が倒産して、最初に芸能界の先輩で連絡をくれたのが江頭さんでした。 ――江頭さんの言葉が励みになったのでしょうか。 事務所の倒産で、本当は「もう芸能界を引退しようかな」と思ったこともありました。ヤフーのコメントにも「もう終わるしかないよな」ということを書かれましたが、そんな言葉に絶対負けちゃいけないと思ったんです。江頭さんから「大原は、もう一度バラエティに戻るべきだ」という熱いお言葉を頂いて、「そうだ、もう1度思いっきり頑張ろう」と思い直せたんです。 第4回では、ミニスカポリス時代、「北海道のヒグマ」と言われた強敵と「胸のボタン飛ばし」対決したことなどを振り返る。 ■大原がおり 1976年、東京都八王子市出身。1997年、3代目ミニスカポリスに就任。CM、バラエティ番組などで活躍する。2005年、ドッググッズブランド「Otty(オッティ)」を設立。 デイリー新潮編集部
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