「悲劇ですよ、特攻隊は」記録から創作へ変化…美化される映画・小説への危惧
連載「いま、特攻を考える」
今年、特攻を題材にした映画が大ヒットした。「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」。現代の女子高校生が大戦末期の日本にタイムスリップし、一人の特攻隊員と恋に落ちるストーリー。白いユリが咲き誇る場所で、主人公が隊員に率直な思いをぶつけるシーンが印象的だ。 【写真】特攻に関心持ってもらう入り口作り 「あの花が咲く丘で…」の原作者、汐見夏衛さん 「なんでそんなことしなきゃいけないんですか。体当たりするんでしょ。飛行機に乗って敵の船に突っ込むんでしょ。そんなのおかしくないですか」。隊員はほほ笑みを浮かべ、「真っすぐだな」と主人公の頭をなでる。家族や恋人を守ろうとした隊員だけでなく、逃げ出した者や、特攻を賛美した社会の空気感も描かれる。 原作の小説は2016年の出版以来、交流サイト(SNS)で話題を集め、映画公開後には「感動した」「泣いた」との投稿があふれた。「特攻隊かっこいい」とのコメントも。 小説の作者汐見夏衛さん(38)は、特攻の出撃基地が集中した鹿児島県の出身。若い世代が戦争の理不尽さを知る「入り口」にしたいと考えたが、「こちらの意図がどこまで伝わっただろうか」と首をひねる。 ■ 北九州市門司区の三宅トミさん(94)は女学生の頃、この映画のような体験をしたことがある。 当時15歳。鹿児島県の知覧飛行場で、出撃を控えた特攻隊員の世話をする「なでしこ隊」の一員だった。長くても数日しか滞在しない隊員たちの食事を配膳し、寝具を整え、話し相手になった。 1945年4月、20歳前後の隊員から、兵舎近くのレンゲ畑に誘われた。明日死ぬかもしれない相手の顔をまともに見ることはできず、花を摘みながら1時間ほど過ごした。会話は何度も途中で途切れた。 隊員は紙を出し、鉛筆で詩を書いて渡してくれた。「少しでも生きた証しを残したかったんじゃないですかね」。間を置かず隊員は出撃し、戻らなかった。 ≪君と別れていつまた会える 梅か桜か咲く頃か 靖国で≫。詩の文面は今も覚えている。 ■ 繰り返し映画や小説の題材になってきた特攻。帝京大の井上義和教授(教育社会学)によると、作品は戦後60年ごろを境に、体験者による記録から非体験者による創作へと変化した。それに伴い、戦争の現実を伝えることよりも、恋愛などの人間ドラマを描くことに重きが置かれ、感動を呼びやすくなっているという。 熊本県内の小学校で平和学習の講師を務める菊池飛行場ミュージアムの永田昭館長(60)も、流行した作品の影響を肌身で感じる。 作戦が始まった経緯や悲惨さをたっぷり説明した後でも、自分ならどうするかと問うと、子どもたちは「特攻に行く」と真顔で答える。永田さんは「行きたくないと言った人もいる。他の道があったんじゃないかと考えてみてほしい」と呼びかけている。 三宅さんもまた、若い人たちに自身の体験を話しても十分に伝わらないもどかしさを感じる。特攻が歴史になる中、美化されることを危惧する。「悲劇ですよ、特攻隊は」 (久知邦、坪井映里香)