愛娘と訪れた下北沢のスナックで、西田敏行さんが演歌を大熱唱…!ママと常連客が圧倒され、涙を流した「曲名」
家族の話題で盛り上がる
「お嬢さんは西田さんとよく似ていらっしゃってニコニコとした笑顔で、可愛らしい方でしたね。『娘はお酒も飲まないし、歌も歌わない。芸能活動はしていません』と説明されていました。西田さんはテレビで見るよりずっと穏やかで、ニコニコとやさしい笑顔で、プライベートなこともいろいろ話してくれました」(前出のスナック店主) 店はカウンター席と奥にテーブル席が一つあるつくり。3人は奥の席に座り、西田さんは「メーカーズマーク」のボトルを入れた。そして店主らや居合わせたなじみ客らと会話を楽しんでいたという。 「うちも家族経営の店。西田さんはそこに関心を持たれたようで、家族の話で盛り上がりました。娘さんとも仲睦まじく、家族との関係がとてもいいんだろうな、と感じました」(前出のスナック店主) 西田さんは店のカラオケで北島三郎さんの「まつり」など、数曲を熱唱。最後には常連客のリクエストに応えるかたちで、自身の代表曲である「もしもピアノが弾けたなら」をしっとりと歌い上げたという。 なんという、うらやましいステージだろう…。 「あまりの歌のうまさに鳥肌が立ちました。ママは感動して泣いていましたし、店の中がシーンとなり、圧倒されました」(前出のスナック従業員) 娘を呼んだのも、カラオケで熱唱したのも、西田さんと初めて2人で酒を呑みにきて緊張している星田さんの気持ちを「少しでも和らげよう」という気遣いもあったのかもしれない。 「お客さんとも気さくに接していらっしゃいました。自分の周辺にいる人たちを大切にしている様子が伝わってきた」とスナック店主は振り返る。
「家族の時間を大切にしようと思う」
前出の広味坊店主は、最後に来店した際の西田さんの言葉が忘れられない、と明かす。 「西田さんは『これからは、家族との時間を大切にしようと思っているんだ』とおっしゃっていました」 西田さんは幼少期に父親を亡くし、母親が再婚。伯母夫婦の養子となった。義理の両親である伯母夫婦との関係はよく、伯父に映画に連れて行ってもらったことが西田さんの役者を目指すきっかけにもなったという。 だが、幼少期に体験した別れ。家族に対する思いを一層強く持つことになったのではないか。 2019年といえば、西田さんは70代に入ったばかり。ドラマや映画、バラエティ番組の出演などで忙しい日々を送っていたはずだが、健康状態には問題を抱えており、先々のことを考えて、家族と過ごす時間を少しでも長く持ちたいと思っていたのかもしれない。 それから5年、西田さんは突然、この世を去った――。愛する夫、父を失った家族の悲しみは計り知れない。 【つづきを読む】『西田敏行さんが残していた「最後の言葉」…足しげく通っていた寿司店の店主が明かす「いまも悔やんでいること」』
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