蔦屋重三郎は「糸井重里」? 大河ドラマ『べらぼう』時代考証が語った「蔦重」のスゴさ
蔦重が持っていた3つの顔
――吉原細見のほかにも、蔦重は重要な出版物をいくつも手掛けています。 当時は通俗小説をはじめとした読み物を総称して、「戯作」と呼んでいました。その戯作の中にいろいろな種類の出版物が含まれています。特に人気だったのは「洒落本」で、遊郭での遊びの様子を物語の形にまとめたものですね。 男ふたりが吉原に遊びに行くというストーリーの中で、現地での最新の流行や、どこの店のどの遊女が美人かといった、吉原に関連する情報を細かく盛り込んでいきました。つまり、吉原に関するガイドの役割も果たしたわけです。 また18世紀には、人々が自分で小咄を作ってきて披露しあう会も盛んだったのですが、その中で特に面白かったものを本にまとめた「咄本」も人気でした。大田南畝のような時代を代表する文人も、流行に乗って咄本を作っていたほどです。 さらには浮世絵や、現在の教科書に当たるような「往来物」、日常卑近の事などを、俗語を交えて五七五七七で詠む和歌のパロディ「狂歌」の本なども出版していました。蔦重自身もこれらの文化に深く関わっていて、狂歌については自らも「蔦唐丸」の名で作り手として活動しています。 ――優れた経営者かつプロデューサーであり、同時に自身で創作も行うマルチな才能の持ち主は、現代ではあまり見られません。 「蔦重を現代人で例えると誰ですか?」とよく聞かれますが、いつも答えに窮するんです。それらの才能を併せ持っている方となると、糸井重里さんでしょうか? 蔦重の生涯を見ていると、彼が本当に楽しみ、かつ周囲の人を楽しませる形で仕事をしていたことは伝わってきます。その証拠に、彼の人柄を悪く言っている史料はまず残っていない。その姿勢は多くの現代人も参考にできるかもしれません。 大河ドラマ『べらぼう』にて、私は時代考証を担当しています。エンタメ作品である以上、すべて史実そのままとはいきませんが、蔦重の生涯を多くの人に知ってもらえたら嬉しいですね。 (取材・文/若林良) 「週刊現代」2024年1月11・18日号より
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