激痛で記憶なし「私生活が普通にできるように」 新制度に葛藤…32歳で決断「やめます」
FA制度導入の1993年オフに引退「イメージ通りの成績が残せないのは嫌」
そんな時に球団から聞かれたという。「僕、FAの資格を持っていたんですよ。それで『FAするんですか、残るんですか、やめるんですか』って」。考えた。「例えば来年残ったとしても、FAしてもどれだけ成績を残せるんだろうか。このまま年数を重ねても2勝とか3勝とか残せなかったら嫌やなぁ、逆にストレスたまるなぁとかね。やっぱりやるからには先発なら2桁、クローザーだったら20セーブ。その最低目標を達成できないとなれば、もうやめようと思ったんです」。 1993年オフに、NPBでFA制度が導入された。牛島氏らとの交換トレードでロッテから中日に移籍した落合博満内野手はFA権を行使して巨人入りした。そんなオフに牛島氏はあえて引退を選択した。ロッテ球団にも「やめます」と返事をして、プロでの現役生活を14年間で終えた。フォークボールを武器に中日でもロッテでも結果を出した右腕はまだ32歳だったが「インナーマッスルが切れかけていましたし、そんなに戻れないなぁって感じもあったんですよ」と話した。 浪商(大阪)時代に甲子園を沸かせて、ドラフト1位で中日に入団。プロ1年目から1軍で投げた。1986年オフに、まさかのトレードでロッテに移籍することになったが、それも発奮材料にして、さらに成績をアップさせた。最後は怪我に泣いたが「後悔はない。納得しています」と言う。「僕は割り切る時は早いですからね。トレードの時も考えるだけ考えて、行くと決めたらもうって感じでしたしね」。 どんな時でも決して手を抜かなかった。試練があっても悲観的にならず、絶えず前を向いて乗り切っていった。並の精神力ではできなかったはずだ。「やり残したというのは多分、どこまで行ってもあると思いますよ。でも僕にはやっぱり自分のイメージ通りの成績が残せないのは嫌だというのがありましたからね」。細身の体で現役生活を全うした当時を思い出しながら牛島氏は笑みをこぼした。
山口真司 / Shinji Yamaguchi