さよなら空母「ロナルド・レーガン」 日本人が知っておくべき東日本大震災「トモダチ作戦」その中枢に【後編】
「トモダチ」作戦の代名詞的存在
東北の地に数多くの爪痕を残した大災害、東日本大震災が起きたのは2011年3月11日のこと。マグニチュード9.0、最大震度7を記録したこの大地震に、外国軍艦としていち早く駆け付けたのが空母「ロナルド・レーガン」でした。 【まさしく洋上の航空基地】これが東日本大震災で大活躍する「ロナルド・レーガン」です(写真) 3月11日夜、アメリカ政府から支援の申し出を受けた日本政府は、すぐさま駐日アメリカ大使に在日米軍による支援を正式に要請。これにより人員約2万4500人、艦船24隻、航空機189機が投じられた大規模な人道支援・救難活動「トモダチ作戦」が始まります。 地震発生時、「ロナルド・レーガン」は巡洋艦「チャンセラーズビル」、駆逐艦「プレブル」、補給艦「ブリッジ」と共に韓国へ向かっていましたが、即座に被災地へと針路を変更。3月13日には三陸沖に到着します。 同日、「ロナルド・レーガン」空母打撃群司令官のロバート・ギリア少将(当時)らが護衛艦「きりしま」艦上に設けられていた海上自衛隊第1護衛隊群の司令部を訪問。同群司令の糟井裕之海将補(当時)らと震災対応協議を行いました。 被災地の情報収集において「ロナルド・レーガン」の艦載機は大いに活躍することになります。戦闘機F/A-18「スーパーホーネット」による被災地の写真撮影と艦内での分析、早期警戒機E-2「ホークアイ」による航空機誘導や、被災地周辺の海空域における航行支援と通信中継、艦上輸送機C-2A「グレイハウンド」を使用した陸上基地と空母間の物資輸送、艦載ヘリコプターHH-60「シーホーク」による物資輸送と、搭載する各種航空機を使ってさまざまな救援活動に従事したのです。
東日本大震災の4年後に横須賀へ
なお、当初は救援物資のラベルが英語であったため、被災者に行き渡らないという問題も発生しましたが、日本語の説明書を付けることで解決しています。 さらに日本語で作製した質問状をもって被災地へと向かい、必要な支援や状況について筆談で確認。日本語がわかる軍人と海自連絡官の翻訳により、ニーズを把握し物資を選定して被災地へ届けるといったことも行いました。 また、津波によって仙台空港や航空自衛隊松島基地が使用できなくなっているなか、「ロナルド・レーガン」は陸上での救助活動と物資輸送に従事する自衛隊などのヘリコプターに補給を行う洋上プラットフォームとしても機能しています。 広大な飛行甲板を活用し、非常食約3万食を米軍ヘリコプターで海自艦船へと空輸し、そこから自衛隊ヘリコプターが宮城県内の避難所へ届けるといったリレー輸送も実施しました。加えて「ロナルド・レーガン」の乗員が個人的に衣類や靴、毛布、食品、飲料水などの寄付を行い、被災地に送る取り組みも行われました。 こうして発災直後から3週間にわたって活動し続けた同艦は4月4日、護衛艦「ひゅうが」に見送られて三陸沖を離脱。9月にサンディエゴへと帰還しています。この後、2012年1月から約1年にわたってピュージェット・サウンド海軍造船所で修繕を実施。2014年のRIMPAC(環太平洋合同軍事演習)で久々に長距離行動を行っています。 そして2015年10月1日、姉妹艦「ジョージ・ワシントン」に代わる前方配備空母として横須賀港へ入港。10月12日には一般公開が行われました。