「デブの田舎者」心ない誹謗中傷に囚われ続けたカレン・カーペンター…天使の歌声と命を奪った“心の闇”
『イエスタデイ・ワンス・モア』『トップ・オブ・ザ・ワールド』など、誰しもが聞いたことのある名曲を生み出した兄妹ポップスデュオのカーペーンターズ。珠玉の歌声を持つ妹のカレン・カーペンターは今から41年前の2月4日、32歳という若さでこの世を去ったが、彼女にいったい何があったのか。 【画像】拒食症に悩まされていたというカレン・カーペンターの姿
「野暮ったい」という理由から、レコード会社に相手にされなかった
のちに「カーペンターズ」を結成することになる兄リチャード・カーペンターと妹カレン・カーペンター。二人が最初に注目を集めたのは、1966年のことだった。 学校に通いながらリチャード・カーペンター・トリオとして活動。この年にハリウッド・ボウルで開催されたアマチュア・コンテストに出場すると、巧みな演奏技術とアレンジの素晴らしさから、圧倒的な評価を集めて優勝したのだ。 同年、大学の友人らを加えて6人組のバンド、スペクトラムを結成。 自分たちの音楽に自信を持っていたリチャードとカレンは、レコード会社と契約してデビューすることはもちろん、ラジオから流れてくるようなヒット曲を作り、プロのミュージシャンとして成功を収めることを信じて疑わなかった。 https://youtu.be/PjFoQxjgbrs 『Carpenters - Rainy Days And Mondays』。Carpentersより しかし、ここから彼らは不遇の時代を送ることになる。いくつものレコード会社にデモテープを送るも、どこからも相手にされなかったのである。 当時のアメリカではロックやフォークが若い世代の人気を集めており、ポップスの売上は低下しつつあった。さらに二人の住んでいたカリフォルニアではヒッピーによるムーブメントが起こっていて、サイケデリックな音楽が最新のカルチャーとして発信されていた。 そうした時代の変化の中で、スペクトラムの音楽は評価されながらも、野暮ったくて今の時代には売れないと判断されてしまったのである。
念願叶って「カーペンターズ」が誕生
ラジオから自分たちよりも演奏の未熟なバンドの音楽が聴こえてくるたびに、どうして自分たちの音楽は認められないのかと、リチャードとカレンは不満を募らせた。 それでも彼らは今の自分たちの音楽のままで成功するはずだと信じ、ライブハウスを回るなど熱心に活動する。しかし、状況が進展することのないまま1年以上が過ぎ、スペクトラムはとうとう解散してしまう。 そんな1968年の初夏。残されたリチャードとカレンのもとに、ある情報が入ってきた。 新しく始まったテレビ番組『ユア・オール・アメリカン・カレッジ・ショー』が、あちこちの大学キャンパスでオーディションを開催しているというのだ。 全国ネットのオーディション番組への挑戦は、自分たちの音楽が普遍的な魅力を持ち、商業的にも価値のあるものだということを証明し、そして多くの人たちに知ってもらう、またとない機会だった。 6月22日、二人は初めてのテレビ出演を果たした。演奏レベルの高さもさることながら、巧みにドラムを叩きながら歌うカレンの姿には、レコードでは伝えられない新鮮さがあった。二人は見事にオーディションを勝ち抜き、その後も何度か番組に出演した。 そして翌1969年。A&Mレコードと契約を交わし、「カーペンターズ」が誕生したのだった。