米国人さえ嫌悪する「チップ」はなぜなくならない? まるで「最強の外来種」のようにタフ
最初のチップ反対運動
米国にチップが広まりはじめると同時に、反対意見も広まりはじめた。19世紀後半から20世紀前半にかけてのジャーナリストには、チップは非米国的だとする意見が多かった。チップ自体が、社会的に階級が低い人に対して与えられるものであり、民主主義の価値観に反するという理由からだ。特に懸念されたのは、夏休みのアルバイトでチップを受け取る大学生で、それが「奴隷根性」とみなされた。 末端の労働者はチップで利益を得ていたにもかかわらず、労働者団体もチップの習慣に反対した。その結果、1915年にアイオワ、サウスカロライナ、テネシーの各州でチップが禁止されるなど、20世紀の初め頃には、チップ反対運動はある程度の成果を収めることになった。 当時の作家、ウィリアム・スコットは、チップに反対するあまり、それについて本まで書いている。スコットによれば、ウェイターにチップを渡す習慣はレストランの店主が人件費を客に転嫁する手段であり、「民主主義の胸にできたがん」だった。 ただし、民主主義はその意見に賛同しなかった。チップを禁止した法律は、1926年までにすべて廃止された。そして1938年には、最低賃金とともにチップの最低額が定められ、米国の法律にチップが明記されることになった。
現代のチップ文化
第二次世界大戦後、英国やヨーロッパでは、レストランでサービス料が導入されたことで、チップは衰退していった。しかし、米国のチップの習慣は廃れることなく、チップ輸入国だった米国は、チップ先進国になっていった。 1950年代以降、経済学者や心理学者によって、米国社会でのチップの役割が議論されるようになった。優越感に浸れるからだという説もあれば、社会の目を恐れてチップを渡しているという説もある。 チップの研究にキャリアを捧げてきた米コーネル大学の消費者行動学の教授で、社会心理学者のW・マイケル・リン氏は、チップは客が特別扱いを受けるために始まったのかもしれないが、その習慣が広まるにつれて、チップを払わないことが不利になり、断ち切ることができない連鎖になっていったと主張している。 ごくわずかな著名レストランの店主がチップを廃止して話題を呼んでも、チップ不要論が広がりを見せることはない。リン氏によると、それが難しいのは、チップの代わりになる手段が消費者に好まれないからだ。 「チップを廃止したいレストランには、サービス料を導入するか、メニューの価格を上げるかという2つの選択肢があります。サービス料はだれもが嫌がります。メニューを値上げするのも、簡単なことではありません。競合店は低い価格を維持するわけですし、他社を巻き込んで一律に値上げすれば価格操作になります」 わかっているのは、チップが何の役に立って「いない」かだ。リン氏らの調査によると、チップは優れたサービスに報いるためにも、悪いサービスを罰するためにも使われていない。再び訪れるつもりがないレストランでも、人はチップを払う。チップの額は料金のみによって決まり、通常は料金が高額になるほど、チップの割合は少なくなる。人種差別や性差別がチップの額に影響することもある。 リン氏の調査によると、今のところ、テイクアウトなどのカウンターサービス形式の飲食店では、そこにiPadがあったとしても、チップを払わない人が多い。これは、リン氏自身もそうだという。 「食事を渡してくれる人がチップを欲しがっていて、渡さなければ機嫌を損ねるだろうということはわかっています。しかし、3人に2人はチップを払わないので、私だけに矛先が向くわけではないこともわかっています。このような状況でチップを払えば、あらゆる小売店でチップを渡さなければならなくなってしまいます。私はそこまでしたくはありません」 一度習慣として根付いてしまうと、簡単には戻れなくなるということだ。
文=Meghan McCarron/訳=鈴木和博