「いつか一太刀浴びせねばならぬ」…仮想敵の陣営に潜入した若き研究者が、「カブトを脱ぐ」ハメになった「まさかの気づき」
生態学 vs. 古生物学
混迷する世紀末の進化学ワールドに、彗星のように現れた正統派進化学者がいた。若き日の河田雅圭(かわた・まさかど)博士である。進化生態学の救世主となった河田博士は、最新の生態学の鎧を纏い、切れ味鋭いロジックの剣で、次々に襲いかかる勇者や魔物たちを、容赦なく切り伏せていった。 河田博士を中心に編集発行された雑誌『Networks in Evolutionary Biology』は、80年代の進化を巡る論客たちの熱いバトルの場であった。学生だった私はこの雑誌を貪り読み、誌上で繰り広げられる修羅の世界のような論争に熱中した。 ただしその時の私は、地質学を専門とする古生物学専攻の学生で、かのパレオバイオロジー派の支持者であった。 当時、小笠原の陸貝を研究していた私は、化石だけでなく現生種も使い、生態学・集団遺伝学的な研究も手掛けていた。生物分野の研究者との交流や、グラント夫妻のダーウィンフィンチの研究に影響を受けたためである。だがそれゆえに、化石記録で観察される現象に、生態学や遺伝学の理論をあてはめることしかできないなら、進化研究に古生物学の存在意義はないのではないか、とも考えていた。 そんな訳で、断続平衡説など古生物学独自の進化理論の大半を、誤り、不適切、と一刀両断する河田博士に、いつか一太刀浴びせねばならぬ、と滾たぎる思いを募らせていた。 その機会は間もなく訪れた。一九九一年、東北大学で行われた古生物学会シンポジウムで、河田博士との対決が実現した。この対決は、私が先に講演を行い、主張を述べて、次に河田博士が講演で主張を述べる、という形で行われた。 両者の主張を結論だけ簡単にまとめると、次の通りだ。私は、小笠原の陸貝の研究成果を元に、「環境変化に伴う偶発的な雑種化のイベントが、進化の方向を大きく変え、多様性に影響を与えてきたことを化石記録は示す。生態学や遺伝学だけでなく、こうした歴史の偶発性のような古生物学の知識に基づくプロセスを、進化のプロセスとして重視すべきである」と主張した。これに対し河田博士は、「化石記録が示す形や多様性の変化の歴史は、進化を理解するうえで重要だが、そこに働くプロセスは、生態学や遺伝学の知識に基づいて想定されるべきである」と主張した。 講演後の質疑応答でも論戦を挑んだものの、結局私は、自分の主張を生態学者に納得させることはできなかった。また生態学者の主張に反駁(はんばく)することもできなかった。