人間が仮想世界に没入する理由は――サバイバルゲームに潜入し全編撮影したドキュメント「ニッツ・アイランド 非人間のレポート」監督インタビュー
オンラインゲームの仮想世界に潜入してプレイヤーたちにインタビューを実施し、ほぼ全編をバーチャル空間で撮影したフランス発のドキュメンタリー「ニッツ・アイランド 非人間のレポート」が公開された。監督は、同じフランスのモンペリエ美術学校で学んだエキエム・バルビエ、ギレム・コース、カンタン・レルグアルク。3人が本作を語るインタビューを映画.comが入手した。 オンラインに存在する島を舞台に繰り広げられるサバイバルゲーム「DayZ」に潜入した3人のフランス人映画クルー。襲い来るプレイヤーやゾンビたちを殺さなければ生き残ることができないカオスな世界で、自らもサバイバルしながら963時間を過ごし、遭遇したプレイヤーたちにインタビューを重ねていく。そこには暴虐の限りを尽くす集団や、誰も殺さないことを信条とするグループ、牧師を名乗って他のプレイヤーに信仰を説く人物、静かで落ち着いた環境を求めて1万時間もゲーム内で過ごしている者など、さまざまな人たちがいた。映画クルーはオフラインにいる生身の人間の存在を感じながら、人間の二面性に直面していく。やがて彼らは、現実と仮想世界の境界を探索する旅に出る。 ───本作のアイデアはどこから生まれたのですか? ギレム・コース(以下:ギレム):エコール・デ・ボザール在学中にリサーチを始めました。当初の目的は、ただ実験してみようということで、ドキュメンタリーや映画を作るつもりは全くありませんでした。あるゲームで何が起こっているのか、プレイはせずに観察してみようと思っていたんです。当時はオンライン・ゲームの世界がどのようなものかよくわかりませんでしたが、ある時、ゲームのツールを一切使わずに、ただぶらぶらしているプレイヤーに出くわしたんです。ゲームの中で立ち止まり、ただ景色を眺め、周囲を見渡し、仮想世界の中で人々と腰を下ろし、一時停止し、関係ないことを話し、実際にはプレイしない。それが可能だとわかった時、私たちは「ここを舞台にドキュメンタリーを作れるかもしれない」と気づきました。それが始まりだったと思います。 エキエム・バルビエ(以下:エキエム):バーチャルな世界で、現実の人々との出会いが可能であること、そして自分たちでその出会いを誘発できるかどうかを試してみたかったのです。これは僕たちの初監督作品“Marlowe Drive”の基本となるアイデアでしたが、本作の出発点でもありました。 ───前作“Marlow Drive”はオンライン・ゲーム〈グランド・セフト・オート:V〉(以下〈GTA〉)で撮影されましたが、本作は〈DayZ〉で撮影されています。なぜ今回このゲームを選んだのですか? ギレム:私たちは当初、〈GTA〉で別の映画を作りたいと考えていました。でもすぐに、現実感や没入感を強める空間音響を備えたアバター同士が直接会話できるゲームに興味を持つようになったのです。〈DayZ〉ではこの特徴によって、人と人との出会いが貴重で特別なものになっています。広大なマップ上で、僕たちは80人のプレイヤーたちと共に、非常にストレスの多い環境にいます。したがってプレイヤーとプレイヤーとの出会いがあれば、それは必然的に極めて強く、強力なものになります。 ───〈DayZ〉の原理を説明していただけますか? エキエム:〈GTA〉は消費主義的なゲームで、架空のアメリカンドリームに基づいていますが、〈DayZ〉は、東ヨーロッパの荒涼とした黙示録的な田舎が舞台のサバイバル・ゲームです。車や豪華なアパートを集めるゲームとは対照的に、ここでは単に森の中に小屋を建て、一人、あるいはグループで生き残ることを目指さなければならない。生き延びるために食料、水、医薬品を探すというかなり現実的なシミュレーションの中にいます。そしてその世界では他人との交流も不可欠です。私たちが“Marlowe Drive”で探求したかったこととは、まさに対極の世界です。 カンタン・レルグアルク(以下:カンタン):“Marlowe Drive”の後、僕たちは個人への単独インタビューしかしていないことに気づきました。そこで、人がグループで集まるゲームを探しました。登場人物の一人レネは、コミュニティを立ち上げ、同時にYouTubeで動画も作っていたのですが、「人が集まって一緒に物語を作っている」と動画で話していました。私たちは、いわゆる“ゲーマー”が持つステレオタイプな「個人」のイメージに当てはまらない、共同で何かをするという物語にとても惹かれたんだと思います。 ───撮影中はどのように役割分担をしたのですか? エキエム:“Marlowe Drive”で、ゲームの中の人たちに会って話しかけることを始めました。ドキュメンタリーの古典的なインタビューを再現するというアイデアで、いわば観客とアバターの仲介をしたんです。このアイデアは本作でも用いました。 ギレム:撮影クルーは僕ら3人だけでした。僕たちは監督、ジャーナリスト、技術者、カメラマンなど、様々な役割をごく自然に引き受けました。エキエムがメインのコンタクト・パーソンで、カンタンがカメラマン、そして僕が技術者。これらの役割は、ゲームの内外で役立ちました。いわゆる撮影日には、まずゲームの外から準備を始めます。メッセージ送受信のプラットフォーム“Discord”を使ってプレイヤーに連絡を取り、彼らがどこにいるのか、あるいはマップのどこからログインしようとしているのか、どこで会うことができるかを調べます。そして一連の質問を準備します。一度ゲームに入ったが最後、食料、飲み物、衣服、光を見つけることが不可欠になります。また、病気にならないようにし、薬を見つけ、できるだけ長続きさせるためにあらゆる事態に備えなければなりません。取材1件に4~5時間、あるいは6時間程要しますので、多くの準備が必要です。実際、撮影場所に行くだけでも時間がかかります。取材対象者が、僕らがいるところから2時間も3時間も離れていることもしょっちゅうでした。 エキエム:〈DayZ〉の世界は「パラレル・リアリティ」(並行現実)なので、昼夜のサイクルも違います。撮影が昼になるのか夜になるのか、どのサーバーで撮影するのかなど、まったくわかりませんでした。様々なことを組織化する必要もありました。1秒でも長く生きるためのリソースを確保するために、可能な限り適切な時間に適切な場所にいる必要がありました。そのために、同時に複数のサーバーでアバターを準備しなければならなかったのです。また、ゲームの仕組みやアップデートに対応しなければならず、作業が複雑になることもありました。 撮影し始めた頃、非常に厄介な〈DayZ〉のアップデートがありました。開発者が、寒い時に人が発する白い息を追加したんです。それからは撮影中は常に、画面上のあらゆるものの前に白いもやが発生していたため、それに対応しなければならなりませんでした。カメラマンのカンタンは、このもやにガマンできなかったので、彼の隣で常に火を焚いて暖かくなるようにし、もやがない状態で撮影できるようにしなければなりませんでした。このような話はいくらでもあります。カメラマンや私のアバターが飢え死にないように、緊急でギレムが羊を2、3頭殺さなければならないこともありました。アバターは生きた操り人形のようなもので、仕事を続けるためには食事を与えなければならなかったのです。 ギレム:しばらくして、あらゆるものがごちゃ混ぜになりました。コロナ禍等の影響で、我々は3カ月間監禁されていたからです。これは不思議な体験でした。現実の世界で食事をしては、ゲームの世界に戻って撮影し、そしてゲームの中でも食料を摂り続けなければなりませんでした。 エキエム:二重生活のような感じでしたね。これまで経験したことのない奇妙で特別な経験でした。現実の世界で自分自身を維持し、同時にバーチャルなキャラクターを維持しなければならなかったのです。あとになって、〈GTA〉で過ごした時間は、僕たちの人生の一部であると気づきました。〈GTA〉に長時間を費やす多くのプレイヤーに共通の思いだと思います。「この場所には自分の人生の一部がある」と。 ───カメラマンとしての経験はどうでしたか? カンタン:登場するアバターたちが殆ど表情のない人形のようなものだったため、撮影は複雑でした。生命感が希薄なもの、あるいは音で生命感を演出しているものをいかに撮影するかが課題でした。また、このゲームに特有の、「他者との奇妙な距離感」という問題もありました。実生活では、よく知らない相手とは距離を置くものですが、ゲームでもそれを尊重する必要があります。例えば、クローズアップを撮りたくて誰かにすごく接近しなければならない場合でも、焦点距離が1つしかないので、いつでもそう接近できるわけではありません。冒険の中で、徐々に相手との距離が縮まるにつれて、物理的にも相手に近づくことができるようになりました。映画に牧師のようなキャラクターが登場します。終盤、私は彼のアバターに完全に密着することができましたが、彼の側には何の不安も見られませんでした。 ───映画の冒頭はほとんどロールプレイですが、クルーがゲームの中で過ごす時間が長くなり、プレイヤーたちをよく知るようになるにつれ、〈現実世界〉について話すことが多くなっていきます。これは演出や編集でそうなったのでしょうか、それともクルーが実際に経験したことでしょうか? エキエム:実際に起きたことですし、プレイヤーたち自身の経験の記録でもあります。第一に、プレイヤーは、対プレイヤーとの関係である役を演じています。少しずつその役が崩れ去り、もう少し親密な空間が生まれることでプレイヤーは“二重人格”になります。アバターでありながら、その背後に「本人」がいるという。プレイヤーはゲームの中で時間が経つにつれ、次第に心を開き役割ではない「本当の自分」で関係を持つ準備ができたと感じるようになります。僕たちは出会ったプレイヤーたちのために、顔、そして人生を創りました。彼らからいくつかの要素や個性の断片をもらい、頭の中でポートレートを再構成したのです。また、しばらくプレイすると、会話がなくてもアバターの服装や動き、態度だけでお互いを認識できるようになるのも面白い経験でした。このようなことが、より“リアルな絆”を生むのだと思います。これは映画というメディアについても言えることですよね。つまり、劇や演技から始まって、観客は次第に演者の背後にいる人間に出会っていくという。 ギレム:すでに何年も(中には5年も)、共にプレイしているグループにも会いました。彼らのほとんどはロールプレイに熱中するハードコアなゲーマーで、互いに挑戦し合い、没頭し、多大な時間をゲームに費やしていました。すでに2万時間近くプレイしている人にも会いました。それだけ長くプレイしていると、最終的に人と会話するためだけにゲームに入り、他人に言えない自分の話を暴露したり、その日一日何をしていたかを人に尋ねたりしてしまうんですよ。 ───このような環境で、プレイヤーと親しくなるのは難しいと思います。身分証を提示しなければならないこともありましたよね。親密さという点ではどうでしたか? ギレム:実際、時間が必要でした。でもある時点からは、プレイヤーたちが僕らのことを知っていました。僕たちは十分に探索し、十分に遊んだ。そして十分に死に、奮闘し、プレイヤーに認められ、プレイヤーは僕たちをドキュメンタリー作家として敬意を払ってくれました。いわばパスを手に入れたんです。このパスがあれば、もう殺されることはありませんでした。あるグループから別のグループへと移動するのは、実際楽になりました。時には非常に暴力的な人々に会うこともありましたが。でも、僕らは守られていました。 エキエム:当初はあまり知らなかった言語もあります。ビデオゲームの世界の言語です。この専門用語を理解するのに時間がかかりました。 ギレム:プレイヤーたちは、僕たちが遊びでそこにいるのではないとわかってくれました。僕たちが毎日そこにいて、3時間も歩いて彼らに会いに来ていることを。それが〈現実〉なんだとわかってくれました。撮影のこの現実的な側面は、〈DayZ〉でのプレイヤーと僕たちの関係を超えるものでした。 ───本作の原題“Knit’s Island”はどのように決めたのですか? エキエム:前作“Marlowe Drive”を作ったとき、僕たちはある場所、ある地域の名前をタイトルに選びました。この場所に名前を付け、存在を与えようとするのは面白いことだと思ったんです。“ニット(Knit)”は僕らが考案したキャラクターで、探検家です。僕らはこのアイデアを常に心に留めておきました。ゴーストアイランドについても聞いたことがあり、実際には、グーグルマップ上で見つけた実在しない島のことで、いわゆる“バグ”ですが、ビデオゲームの世界を思い出させました。僕たちにとって、バーチャルな場所は未踏の世界なのです。 ギレム:”Knit(ニッツ)”には、ある意味、何の意味もありません。僕たちは皆、仮想世界を正確に定義するのに苦心しています。“ニッツ・アイランド”は何かの島です、何の島かはわかりませんが。僕たちがこのタイトルを気に入ったのはそこなんです。 映画はシアター・イメージフォーラムほかで公開中。