「熊本の公務員ランナー」家族を亡くした豪雨から4年 今も球磨村復興のため奔走
KKT熊本県民テレビ
「公務員ランナー」として熊本県内で一躍有名になった地下翔太さん(36)。熊本豪雨で大きな被害を受けた球磨村の出身で、豪雨当時は村職員として働いていました。豪雨から4年、家族を亡くしながらもふるさとの復興のため奔走する姿を追いました。
7月2日、球磨村の渡地区。朝から走っていたのは、球磨村に住む地下翔太さんです。 ■走る地下翔太さん 「なんか久しぶりに晴れている気がしますね」 球磨村役場の職員だった2012年、第1回熊本城マラソンで優勝を果たすと、翌年の第2回大会で連覇を達成。熊本一有名な公務員ランナーとなりました。
しかし4年前。地元の球磨村を豪雨が襲いました。役場の職員として対応に追われる中、地下さんの自宅も2階まで水が押し寄せました。さらに。 ■地下翔太さん(2020年7月) Q.県の「死亡者リスト」の中に「末行さん」と…。 「ああ、そうですね、私の祖父になります」
村にある特別養護老人ホーム千寿園に入所していた祖父の末行さん(当時91)が押し寄せた水から逃げ遅れ、亡くなったのです。 ■地下翔太さん(2020年7月) 「避難所にいる時は、けっこう自分の仕事もあるし、バタバタしているのでそんなに考えることはないんですけど、避難所を離れた時にはいろいろ考えたりもするので…そうですね、大変なことになったなあという気はしてますね」
地下さんは、家族や家を失いながら村のために奔走してきました。あれから4年、取り巻く環境には変化がありました。 ■地下翔太さん 「小学校の子どもたちを見送って、僕は下の子どもたちをこうやって送って、朝から出勤の時にはこのまま仕事に行きます。まあ大体、この流れは日課ですね」 熊本豪雨の後、2人が生まれ、子どもは4人になりました。子育て世代として、ある思いが芽生えました。
■地下翔太さん 「自分の中ではもっと何か自分にできること、本当に何かやれないかというのは考えるようになった。今からやっぱり子どもたちも大きくなっていきますし、まずは子どもたちが球磨村に残ってよかったって思ってもらえるような環境にしてあげたい」