信じられない…大ケガから復活した名選手5人
プロ野球のキャリアでは、故障が大きな影響をもたらすことがある。長期離脱することなく現役を全うし、”鉄人”とも呼ばれる選手もいる一方で、選手生命を脅かすほどの大けがに見舞われた選手もいる。今回は、現役引退も考えられるほどの大けがから復活を遂げた名選手を紹介する。
吉村禎章
吉村禎章は、「交通事故レベル」とまで言われた大怪我からカムバックした。 名門・PL学園高から1981年ドラフト3位で巨人に入団した吉村は、高い打撃技術を評価され、高卒3年目の1984年に外野のレギュラー格に。同年は規定打席未満ながら打率.342の好成績をマークした。さらに、1986年には打率.312、23本塁打を記録し、自身初のベストナインを獲得。毎シーズン打率3割以上を残し、将来を嘱望されていた。 しかし、1988年に通算100号本塁打を記録した試合でレフトを守った吉村は、守備機会でセンターと激突。左膝の靭帯を3本断裂、神経も損傷するなどの深刻な負傷だった。その後、手術のために渡米。1年以上の長いリハビリを強いられた。 壮絶なリハビリを経て、1989年シーズンの終盤に戦列復帰。翌 1990年には84試合に出場し、打率.327、14本塁打の好成績でカムバック賞を受賞した。引退した1998年まで主に代打の切り札として活躍。軸足を怪我したことにより、右足に早く体重を移す新打法で復活を遂げた。これは吉村の非凡なセンスと不屈の精神がなければ、なしえなかっただろう。
遠藤一彦
大洋の絶対的エースとして君臨していた遠藤一彦は、クローザーとして復活を遂げた。 遠藤は、1977年ドラフト3位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。1979年には先発とリリーフでフル回転し、12勝を挙げた。さらに、1983年には36試合(238回1/3)を投げ18勝9敗、16完投、186奪三振、防御率2.87をマークし、最多勝や沢村栄治賞などに輝いた。 しかし1987年10月、走塁時に右足アキレス腱を断裂。手術と懸命なリハビリで翌年の開幕に間に合わせたが、急ピッチの調整が大きな原因となり、本来の投球はできず。1989年にはわずか2勝に終わった。 迎えた1990年、救援に本格転向した遠藤は、抑え投手として45試合登板、21セーブ、防御率2.17の好成績でカムバック賞を受賞。新たな役割を担い、見事に大怪我を克服した。