戦争開始から間もなく3年、680万人のウクライナ難民は依然先行き見通せず
ロンドン/キーウ(CNN) ロンドンに着いた時、荷物はスーツケースが一つあるだけだった。中身はほとんどが子ども服で、幼い娘を連れていた。戦争で家を追われたウクライナ人の母親、ヤナ・フェロスさんは2022年4月に渡英。友人も身内もいない、見知らぬ土地だった。 【写真】ロンドンで生活を始めたヤナ・フェロスさんと娘 「新しい人生をゼロから始めた」。34歳のフェロスさんはそう振り返る。ロシアの全面侵攻を逃れ、ウクライナの避難民を受け入れるホストファミリーに身を寄せたが、当時は互いに面識もなかった。 戦争が3年近く続く中、状況は一変した。今のフェロスさんにはウクライナへ帰る理由が何もないという。 元々はウクライナ東部のロシア語を話す地域の出身だ。祖母は戦争前にベラルーシへ移り、侵攻開始後もそこへ残った。両親は数年前に他界している。友人の一部は気がかりなことに、親ロシア的な政治活動の道へと入り込んでしまった。フェロスさんはロンドンでのCNNとのインタビューでそう明かした。 ウクライナとの最後のつながりだった夫は出国できず、フェロスさんの国外滞在が長期化する中、両者は最近離婚手続きを完了した。 夫からは、戦争はいずれ終わると繰り返し告げられた。少しの間待てば一緒に暮らせると夫は訴えたが、フェロスさんはずっと以前に希望を捨てていた。もうウクライナで安全に家族を育てることはできないと思った。 フェロスさんと娘を含め、現在680万人のウクライナ人が国外で避難を続けている。大半は欧州にいるが、先の見通せない生活を余儀なくされているのが実情だ。 もし英国政府が来年で期限を迎える難民ビザを延長しなければどうなるのか。フェロスさんは毎日そのことを考える。「代替策のようなものは何もない」という。 一方で、ロンドンでは生活の基盤を築いている。住居を確保し、生涯学習センターで英語教師の仕事も見つけた。離婚した今、ウクライナに戻るつもりはなく、与えられた機会を生かすことに注力したいと考えている。6歳の娘のアリサちゃんがもっと明るい未来を生きられるように。 地域共同体が破壊され、経済も苦境に陥る中、ウクライナ政府は難民として国外へ逃れた人々に帰国を促したいと考えている。難民のほとんどは女性と子どもだ。政府は国家団結省を立ち上げ、国外にいる国民の帰国を奨励するプログラムやインセンティブの策定に取り組む。 ウクライナのゼレンスキー大統領は10月の記者会見で、人々に帰国を強制することはできないとしつつ、国外からウクライナへ戻り、国防や納税を通じて自国を支援して欲しいと強く呼び掛けた。 戦争の長期化に伴い、ウクライナは人口の空洞化がもたらす経済的な影響について懸念を強めているようだ。頭脳が流出することで将来どのような結果が生じるのかも危惧される。 激しい戦闘が続く中、国外に順応する人々は毎月増え、国内では破壊が進む。従って帰国する人々の数は減り続けると、ウクライナ国立学士院で人口統計学と社会学の研究に携わるエラ・リバノワ教授は指摘する。 同教授はCNNの取材に答え、「事態が本当に悪化すれば、戒厳令が解除された後に新たな移住の波が起きるかもしれない。今度は男性らが妻や子どもの下へ向かうだろう」と述べた。戒厳令が敷かれる中、18~60歳のほとんどの男性はウクライナからの出国を禁じられている。国内では今年、軍事動員の規模が拡大された。 一方で帰国を望むウクライナ人も多く存在する。ウクライナで起業したり、職業的な資格を取得したりするなど、国内に重要な生活の基盤を構築した人々がこれに該当する。 ウクライナ東部ハルキウ市出身のビクトリア・リブカさん(40)は、戦禍を逃れて幼い子ども2人と共にドイツへ渡った。しかし子どもの一人は学校での意思疎通に苦慮し、もう一人の娘はストレス性とみられる皮膚病を発症した。 結局わずか2カ月後、リブカさんは帰国を決断する。念頭にあったのは警官の仕事への復帰と、家族との再会だった。 「夫を残しておくことはできない。ずっと一緒だったから」(リブカさん) 帰国した当時、ハルキウに残っていたのは大半が男性と高齢者で、リブカさんのような母親は同じ複合住宅に1人しかいなかった。この母親は、戦争の早い段階で避難先から戻ってきていた。 それでもその後、地下で学校が再開する中、住民は少しずつ戻りつつある。 リブカさんは「選択は人それぞれ」と認めた上で、「私は自分の選択をした。ここが私の家だから」と言い添えた。