〝哲学芸人〟が語る「セクシー田中さん」 市民社会の「欲望の体系」「活動」からの人間性とは
愛され系もそんな自身を不本意に思う23歳の派遣OL・倉橋朱里(演・生見愛瑠)、堅物で古臭い価値観を持ち女性への偏見を持つ銀行員・笙野浩介(演・毎熊克哉=ドラマでは商社マン)、笙野の友人で広告代理店に勤務し女子力が高い〝チャラリーマン〟小西一紀(演・前田公輝=ドラマでは笙野の同僚)、田中さんが憧れるペルシャ料理店「Sabalan」のマスター・三好圭人(演・安田顕)らが物語を彩る。 テラサワは近代以降に自由恋愛が尊重されるようになった変遷を説明した上で、登場人物の価値観の相違はフランスの社会学者ブルデューが提唱した文化資本(金銭・財産以外の学歴や文化的素養、育成環境といった個人的資産)を想起させつつも、年収、年齢や職業等が重視される現代の厳しい恋愛市場が描かれているという所感を述べた。そして「小西ですらチャラチャラした行為には、自分がチャラチャラした人間だ、というレーダー的発想が働いている」と言及。アメリカの社会心理学者リースマンが唱えた、大衆社会では「大衆が支持する価値観」に従う事が絶対的規範となる心理的性向「レーダー型人間」を挙げ、この点が生きづらさの一因であるとの指摘を行った。 テラサワは「人と人のつながりがあるようで、実はない社会。全てが商品のやりとりで成り立っている社会を近代はつくりました。結婚、恋愛ですら、人間を『商品』として見ることが先行し、相手、自分にも同じ目線、商品としての優劣でしか、人間をはかることができない」と論じた。 そして、作中に頻出する「居場所」という言葉がカギになるとし、その場所であるベリーダンスを披露するペルシャ料理店「Sabalan」に注目。「飲食店なのでもちろん市場経済の一部ではあるけれど、人と人が思想をむき出しにできる場所。田中さんに影響されて倉橋が生き方を変えたり、田中さんに憧れて笙野が三好からダブラッカを教わったり。人と人が相互に関わって何か新しいことを始めることを、自分が研究していたアーレントは『活動』という言い方をしていました」と述べ、「ヘーゲルは近代の市民社会を『欲望の体系』と言っていました。経済的な結びつきだけでは、欲望を満たすためだけに駆動していく社会になってしまうから、この社会はろくでもない、と。アーレントもその考え方を踏襲していて、欲望を優先させるからこそ、それに適しない、価値がないと判断されたことは排除される。同一的、絶対的な価値観に合わさない、逸脱した人間は後ろ指を指される、と述べました」と続けた。 このように語ったテラサワは、作品に戻り「田中さんも職場では恋愛市場の売れ残りのように見られているが、ベリーダンスを通して、田中さんを見る目も変化していく。僕は、経済的な変数のようなものに捉えられない中で、どうやって人間性を築けるか、を問う作品なのかなと思いました」と総括した。 だからこそ、作者の悲劇的な最期を「人間性を築ける場所を大事だと訴える人が、ゴリゴリの経済システムの中にいた矛盾。経済的な実績を残して、ドラマ化されるような作品を描くことで、自分の考えを発信できる立場になっても、企業社会の中で自分の尊厳が無視されるような状況が起こったことがショックでしたね。どうすればいいんだろうか」と、やり切れなさを口にした。日本テレビ、小学館の調査に対しては「個人的に気になるのは、最初の脚本と、その決定プロセスを知りたいですね」と語っていた。 (よろず~ニュース・山本 鋼平)
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