事故の船長は〈ブラック企業で右往左往〉…「荒天でも出せ!」知床遊覧船社長「海の素人」の黒い履歴書
前代未聞の事故から2年半、ようやく運行会社のトップが捕まった。 9月18日に第1管区海上保安本部が業務上過失致死と業務上過失往来危険の疑いで逮捕したのは、観光船運航会社『知床遊覧船』(北海道斜里町)社長の桂田精一容疑者(61)だ。逮捕容疑の事故は、’22年4月23日に起きた。桂田容疑者は運航管理者でありながら乗客乗員の安全確認を怠り、悪天候にもかかわらず観光船の出航を指示。観光船は冷たい知床半島沖で沈没し、20人が死亡、6人がいまだに行方不明となっている。 【衝撃画像】まるでゴミ屋敷…沈没事故の知床遊覧船「事務所の今」&「LINEで解雇通告」写真 『FRIDAYデジタル』は事故直後の同年4月29日に配信した記事で、事故の経緯や桂田容疑者が開いた会見について詳しく報じている。再録し「海の素人」と呼ばれた桂田容疑者の「黒い履歴書」と、ブラックな企業実態を振り返りたい(内容は一部修正しています)――。 ◆「パフォーマンスに見えてしまう」 およそ2時間半の会見で、土下座すること3度――。 北海道・知床沖で乗客乗員26人を乗せた観光船『KAZU1』(以下『カズワン』。全長12m、19トン)が行方不明となる事故が起きてから4日後、’22年4月27日になって運営会社『知床遊覧船』の桂田容疑者はようやく謝罪会見を開いた。しかし「午前中はシケていなかった」など、海の状況を判断する能力を疑うような説明に終始。安全意識の欠落を吐露する内容となった。 「土下座もパフォーマンスに見えてしまいます。社長は海の素人。事故の原因はなんだったのか、どこがいけなかったのか、よく理解していないのではないでしょうか」 こう話すのは、桂田容疑者を知る『カズワン』の母港ウトロ港近くに住む住民A氏だ。知人が「海の素人」と話す桂田容疑者とは、どんな人物なのだろうか。A氏が続ける。 「地元・斜里町から直線距離で60kmほど離れた、網走の高校に通っていました。下宿生としてね。卒業後は、茨城県の職業訓練校のような施設で陶芸の技術を学んでいたんじゃないかな。斜里町に戻ってきたのは、確か40歳を過ぎてからです。両親が経営していた、民宿やホテルを手伝っていました」 桂田容疑者が親の後を継ぎ、『国民宿舎桂田』などを運営する『しれとこ村』の社長に就任したのは’15年4月。『知床遊覧船』を買収したのは翌年のことだ。 「先代の社長が高齢になったため、売りに出したそうです。名乗りを上げたのが桂田さん。事務所や船を、丸ごと数千万円で買い取ったそうです」(全国紙社会部記者) だが、直後から『知床遊覧船』では内紛が起きる。 「桂田さんは旅館業のプロでも、海に関しては素人ですからね。ビジネス優先だったとか。海が荒れていても、利益を得るために『いいから船を出せ!』と指示していたそうです。反発した熟練の船員は、全員辞めてしまった。仕方なく、安い賃金で経験の浅いスタッフを雇いなおしたと聞いています」(前出A氏) ◆「センスがある」 事故を起こした『カズワン』の豊田徳幸船長も能力を疑問視されていた。『知床遊覧船』に入社したのは事故の2年ほど前。その前は水陸両用の車を対象にした団体で働いていたが、知床沖のような荒れることの多い海で船を操縦した経験は皆無だったという。 「通常は船の操縦技術が一人前になるまで3年はかかるといわれますが、桂田さんは『センスがある』と豊田さんを持ち上げ、1年ほどで船長にしたそうです。しかも1人で2隻を担当させた。マジメで寡黙だったという豊田さんは、要求を断れず悩んでいたのでしょう。自身のフェイスブックには、こう投稿しています。〈ブラック企業で右往左往です〉と」(同前) 豊田船長は、’21年6月に出航後まもなく浅瀬に乗り上げ船が座礁。業務上過失往来危険容疑で、’22年1月に書類送検されている。A氏が続ける。 「謝罪会見で桂田さんは、最終責任は『私』としながら『(事故を起こした船は)船長判断による出航』と話していました。責任を豊田さんに押しつけている印象を受けます。小型観光船はゴールデンウイークから就航するのが通例なのに、『知床遊覧船』だけ1週間近く前倒ししたのは利益を優先させたからでしょう。桂田さんが天候を無視し安全を軽視した結果が、大惨事を生んだと思います」 遺族への説明会でも「(事故の原因が)わからないことも含め私のいたらなさ」と、曖昧に語った桂田容疑者。海について十分な知識がないままここまできてしまった「黒い履歴書」が招いた事故ともいえる。説明会参加者からは「納得のいく説明をしろ!」「亡くなった人間のことをどう考えているんだ!」と怒号が飛んだという――。 今回の逮捕を受け、警察の取り調べに対し桂田容疑者がどう供述するか注目される。
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