トラウデン直美はむしろ被害者? 「おじさんいじりをする若い女性」を喜んできたテレビ業界の罪
タレントコメンテーターに必要なのは専門性より過激な表現 選挙特番で重宝される「才女タレントvsおじさん候補」の図
トラウデンさんに限らずだが、選挙特番でよく見る画の一つに、おじさん候補者に切り込む才女タレントというのがある。社会的強者に切り込む、ジャンヌ・ダルク的役割を期待しているのだろうか。それもまた、いいように若い女性タレントを使いつぶすテレビ局の怠慢に見えるものの、ただの小娘然としたタレントに追い詰められる政治家の慌てぶりを見るのは、小気味いいのは確かだ。かつての小島瑠璃子さんを筆頭に、最近ではトラウデンさんと並んで元乃木坂46の山崎怜奈さんも、「才女」タレント枠としてポジションを築いている。 でも彼女たちが最も問われているのは、実のところ専門性や政治的関心ではなく、度胸と雑なワードセンスではないか。限られた時間の中で、ネットニュースになるような質問や表現を繰り出せるか、繰り出すことにためらいがないか、ということである。 トラウデンさんの発言に関しても、歴代の自民党総裁がおじさんだらけなのは事実、と擁護する声もある。でも「才女」タレントコメンテーターに求められているのは、単なる事実認定ではない。「だからおじさんはダメなんだ」と、斬って捨てられる不遜な表現力こそ求められている資質だと思うのだ。 ただ、こじるりも山崎さんもトラウデンさんも、よく発言が「鼻につく」と批判される。それは考えてひねり出したというより、お偉いさんの言ってほしそうなことをなぞっているように見えるからだろう。番組が求める才女像を演じられるというのは、まさに彼女たちが賢いからこそなのだが、小賢しいという悪印象に転んでしまうのは皮肉なものである。
テレビ業界が求める「おじさん転がし」スキルは火種の元に? コメンテーターの次に危ないポジションとは
これがおじさんではなくおばさんだったら、「おばさんの詰め合わせ」などと口にしなかったのではないか、という指摘もあるが、素直にうなずくことはできない。バラエティーの定番として、「女の敵は女」という趣向がある。若い美人モデルや女子アナが、アラフォー以上の女性芸人や独身タレントを「モテないおばさん」と笑う番組は山ほどあった。あれもまた、男性MCやプロデューサーが、「そういう画が面白い」と誘導していた部分は大きい。番組の偉いおじさんたちが言ってほしいことを瞬時に読み取れる才女であればあるほど、批判相手が女性だろうとバッサリいく。例外は、相手が一般人だった時だけだ。それは影響力のバランスを欠いた、弱いものいじめになってしまうからである。 テレビ業界の偉いおじさんたちを喜ばせるため、別のおじさん批判をする。トラウデンさんは、テレビ業界特有の「おじさん転がしスキル」の要求に適応し過ぎたともいえるわけだが、こうした炎上は減ることはないだろう。特に注意が必要なのは、無礼さと紙一重の、物おじしないはつらつさが売りのギャルタレントたちではないだろうか。共演する男性芸人MCや梅沢富美男さんといった、スナックしぐさを受けてくれるタレントのみに限る掛け合いならまだいいが、「おじさん」と属性をひとくくりにしてけなせば反感を買う。若者代表として、おじさん文化へのカウンター的存在として呼ばれがちなギャルタレントは、火中の栗を拾わされるリスクも高いといえる。 おじさんをバカにするノリが成り立っていたのは、おじさんが社会的強者だった時代だけ。現実の世界では、トラウデンさんのような若く高学歴の美人が最も発言力を持っていて、息をひそめて生きている中高年男性は少なくない。おじさんが頂点にはびこるテレビ界では、そのズレに気付かなかったのだろう。 期待に体を張って応えただけなのに、矢面に立たされているトラウデンさんは、テレビ界のおじさんたちの被害者だ。以前からコメンテーターという仕事への迷いを明かし、涙ぐんでいたこともある。理屈だけで感情の乗らないコメントをしがちな傾向や、それにより「うそくさい」「薄っぺらい」と批判を浴びることへの戸惑いや不安があったという。本当は女優に関心があるとも語っていたが、コメンテーター業で嫌というほど培(つちか)った、お偉いさんの意図をくみ取れる能力は演技の場でもきっと役に立つ、と慰めておきたい。
冨士海ネコ(ライター) デイリー新潮編集部
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