里村明衣子が語る、15歳から始まった壮絶プロレス人生 初戴冠後、「本当のチャンピオンじゃない」と愕然とした
観客が求めるものが大きくなると、選手はより高度な技を繰り出すようになる。それによってケガをする選手が後を絶たないが、長与はそこもちゃんと見抜いていた。 「試合で高度な技を連発すると、長与さんに言われるんです。『技を乱発したところで、お客さんは記憶にないよ』って。メインイベントが終わったあとに、その大会でお客様は何発の技を覚えているかといったら、たぶんひとつかふたつ。だから、めちゃくちゃ記憶に残るワンシーンを見せられないと、無駄な技を乱発しているだけだと」 2001年12月15日、アジャコングとのタイトルマッチに勝利し、生え抜き選手として初のAAAWシングル王者となった。社長の友人が祝ってくれることになり、会食の席が設けられた。日本一美味しいピザ屋だという。しかし、ひと口食べた後に「美味しいです」の言葉が出てこなかった。 「美味しいって言っていいのか? 自分の感情を表現していいのか? わからなかったんです。先輩に話しかけちゃいけなかったですし、自由もなかったので。『ピザ、美味しいです』も言えないチャンピオンなんて、本当のチャンピオンじゃない。ショックでした」 リングの上では、すべてが観客に伝わる。会社にチャンスを与えられているが、里村明衣子はまだそこまでの器じゃない――。女子プロレス人気が下降したこともあり、里村がチャンピオンになってから客足が遠のいていった。 チャンピオンになったにも関わらず、会社の規則は厳しいままだった。里村は長与に「門限20時を廃止してください」と直訴した。自分が自由にならなければ、プロレスラーとして先はないと思った。 世代闘争もしたが、会社は「1期生はまだ団体のトップに行かせられない」とジャッジした。ライオネス飛鳥がGAEA JAPANのリングに上がり、長与と「クラッシュ2000」を結成。全日本女子プロレスやJWP女子プロレスのレジェンドレスラーたちもGAEA JAPANに参戦するようになった。 そんななか、頭角を現したのが後輩の広田さくらだった。強さを追い求める里村とは真逆のスタイル。へなちょこキャラとコスプレでコミカルな試合をする。長与とタッグ「チーム・エキセントリック」を組み、ブレイクした。人気も話題も広田に持っていかれ、里村は悔しくてたまらなかった。 「広田は広田で、一番下っ端で、雑用も全部任されて、本当に大変だったと思うんです。めちゃくちゃ意地がある子だから、どうにか自分の路線を開拓するために必死に考えてたんですよね。それを当時、わたしは考えられなかった」 「このままではいけない」と思っていた矢先、パチンコにハマり、さらには椎間板ヘルニアで長期欠場した。2005年4月10日、GAEA JAPANは解散を発表。瞬く間にどん底に落ちていった。 (後編:WWEに門前払い→トリプルHも絶賛でオファー増加 海外挑戦の振り返りと、日本女子プロレスの現状>>) 【プロフィール】里村明衣子(さとむら・めいこ) 1979年11月17日、新潟県新潟市生まれ。3歳から柔道を始め、中学で自ら柔道部を設立。3年生の時、県大会で優勝する。1995年1月、GAEA JAPAN入門。同年4月15日、後楽園ホールでの加藤園子戦にて、15歳の史上最年少レスラーとしてデビュー。2001年12月15日、アジャコングとのタイトルマッチに勝利し、AAAWシングル選手権を獲得。2005年4月、GAEA JAPANが解散し、2006年7月9日、新崎人生とともに仙台サンプラザでセンダイガールズプロレスリングを旗揚げ。2011年8月、新崎人生より独立し、代表取締役に就任。2021年1月、WWEとコーチ兼選手契約を結び、6月10日、ケイ・リー・レイを下し、NXT UK女子王座を獲得した。157cm、68kg。X:@satomurameiko
尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko