チック・コリアが演奏に驚いた17歳の女子高生…“ピアノ・トリオ”の概念を変えた上原ひろみの“真髄”
高校生とは思えないレベルの高い演奏に驚いたチック
実は、ひろみとチックの交流は長い。1997年にも二人は共演している。 来日公演のときにリハーサルをしていたチックは、隣のスタジオで演奏している17歳の女子高校生と出会う。それがひろみだった。高校生とは思えないレベルの高い演奏に驚いたチックは、大手町のサンケイホールでのイベントにひろみを誘い共演した。 それから10年経ち、プロになったひろみと日本武道館でデュオを行い、翌年ブルーノート東京で『デュエット』を録音するにいたった。 上原ひろみというピアニストは、折に触れてレジェンドと出会い、そこからなにかを受け継いでキャリアを重ねてきた。チック・コリアとの交流はその象徴だが、さらに上の世代のレジェンド、〝鍵盤の帝王〟オスカー・ピーターソンとも接点があった。 1999年、当時20歳だったひろみは、カナダのトロントにあるオスカーの自宅に招かれている。音楽談義をし、オスカーのピアノで、ひろみは「アイ・ガット・リズム」を演奏した。ジョージ・ガーシュウイン作曲で、オスカーが好んで演奏した曲だ。 その後も手紙やメールで交流は続き、2004年にはオスカーのオープニング・アクトでジャパン・ツアーも行った。 オスカーは2007年12月に腎不全で、82歳で永眠。ひろみは今もソロ・ピアノで「アイ・ガット・リズム」を演奏している。 筆者は1999年にオスカーにインタビューした。オスカーが高松宮殿下記念世界文化賞を受賞し来日した際に声をかけていただいた。 脳血管障害を体験したオスカーは、後遺症で全盛期のような激しい演奏はできなくなっていた。それでも授賞式が行われた明治記念館で「アイ・ガット・リズム」を演奏。インタビューにも対応してくれた。 「1993年に病気をしてからは左手が不自由で、演奏方法を変えなくてはいけなくなった。でも、それでもきちんと成長する自分を感じることができている。演奏が熟練されてきた。年齢を重ねても、大きな病気を体験しても、人は成長する」 オスカーは話していた。 ただし、成長するためには絶対に必要なことがあると言った。 「大切なのは、常にオネスティであることだよ」 どんなときでも、大きな賞をもらっても、おごることなくオネスティであることを忘れてはいけない。常に自分に言い聞かせていると話した。 音楽家としてのそんなオスカーのマインドも、ひろみは受け継いでいる。 神館和典 1962年東京都生まれ。学生時代の1983年から執筆。その後出版社勤務を経て、再びフリーランス。1998~2000年、ニューヨークを拠点に音楽取材。著書に『音楽ライターが、書けなかった話』『新書で入門 ジャズの鉄板50枚+α』(新潮新書)、『上原ひろみ サマーレインの彼方』(幻冬舎文庫)など。
神館和典