<チ。>火星の軌道逆行という天文の新たな謎、死生観から迫る新章の地動説「天文を題材にしつつ哲学的な考えがすごく興味深い」
アニメ「チ。-地球の運動について―」(毎週土曜深夜11:45-0:10、NHK総合/Netflix・ABEMAで配信)の第4話「この地球は、天国なんかより美しい」が10月19日に放送された。本作は魚豊による同名漫画を原作としたアニメ作品。地動説の可能性を信じ、証明することに自らの信念と命を懸けた者たちの物語が描かれていく。第3話でのラファウの死を受けて、第4話からはオクジー(CV.小西克幸)とグラス(CV.白石稔)という代闘士の2人を新たなメインキャラクターにした新章がスタートした。(以降、ネタバレが含まれます) 【写真】放送中、視聴者をゾッとさせた眼球の集合体 ■地動説に死生観から迫る第2章 時は移り、ラファウが服毒して焼かれてから10年後。第4話は印象的な“目”からはじまった。オクジーの目が見るのは城壁の外に群がる貧民層の人々と、そこに食料を投げ落とす貴族の男たち。まるで家畜に餌を与えているような光景で、迫って映される壁上の男たちの目は作画の美しさとは裏腹に、人のとても嫌な感情を見せつけてくる。 オクジーに、なぜ世界はこんなにもけがれているのかと聞かれた修道士は、地球は宇宙の中心…底辺にあり、底辺にはけがれが溜まる。位が低い地球に暮らす人類に、神が罪深さを知らしめるための仕組みなのだと説く。修道士との会話のあと、宙(そら)を見上げたオクジーの目に見えたのは、宙に浮かび、自分を見つめる無数の目だった。 そんなゾッとする絵を作った新章1人目の人物オクジーは、神が作った地球に絶望する悲観的な性格のキャラクターだ。けがれた人間を見下ろす神の目に恐怖を覚え、宙を見上げることを極端に恐れている。教会の教えを信じ、絶望しかない現世からどうにか天国に行くことだけに希望を持っている。 天文に惹かれていたラファウとは真逆のような主人公だが、一方で彼とともに物語を動かしたもう1人のキャラクター、グラスは宙に希望を持つ。けがれた現世を好きになってはいけないと考えるオクジーに対して、グラスは、夢、好き、希望を捨ててはダメと力説する。その希望の源となっているのが火星の観測記録。グラスにとっては、地球は火星を観測できる特等席。完璧な円環を作るだろう火星の観測は、家族を疫病で亡くし、一度は自分も死ぬことを選んだ彼に、神が与えてくれた“感動”という名の生きる活力だった。 第1章が天文学という学者視点からのアプローチだったのに対して、第2章は神が作った現世と天国、死生観からのアプローチだ。単一な学門アプローチではなく、こうした側からも地動説に迫っていくという物語性にはとても引き込まれていく。 ■異端の言葉に心が揺らぐオクジーとグラス 第3話のラストでオクジーとグラスはラファウが遺した石箱にたどり着いていたが、そこに至る劇的な転換となったのが、移送警備の任務で出会った異端者との会話だ。 オクジーを揺さぶったのは、「教会がいう天国など本当に存在するのか」「この世の絶望から目を逸らすためにあるかも分からない天国に逃げているだけじゃないのか」という異端者の言葉。それはそもそもオクジー自身が思いながらも、天国の存在にすがるために否定してきた気持ちだった。 一方グラスは異端者の「この星は天国なんかよりも美しい」という言葉、「証拠はある」という断言に希望の扉を開かれる。ダメ押しとなったのは、「一生快適な自己否定に留まるか、全てを捨てて自己肯定に賭けて出るか」という選択の突きつけだった。もともとグラスが求めていた火星の完璧な円環は、完全な自己肯定のためのもの。しかし、待ち望んでいた円環の完成は突然の軌道逆行により崩壊してしまっていた。失意のグラスにとって、これ以上の自己否定はし続けられなかったのかもしれない。グラスは異端者の拘束縄を切り、自己肯定のための賭けを選ぶ。 この先オクジーたちが見つけるのはラファウが遺した地動説の研究資料だろうが、2人は地動説をまだ知らない。ラファウの意思はどのように受け継がれていくのか、グラスが見た火星の軌道逆行はどう紐解かれるのか。放送後には「先が気になってたまらん」「漫画を読んでこの欲求を解消すべきか、アニメの新鮮な思いを保つべきか」といった、引き込まれる視聴者のコメントが続出。 他にも「OPとEDが主人公が変わっても意思が受け継がれて行く感じがすごくいい」「天文を題材にしつつ哲学的な考えがすごく興味深い」「相変わらずの夜空の美しさ、オクジーにはこれを見上げてほしい」など、様々な感想が寄せられていた。 ◆文=鈴木康道