じつは「子どもの遊び」は3つのパターンに分かれていた…子ども遊びの極意とは?
考える力をみるみる引き出す実践レッスンとは? 自分で「知」を生み出すにはどうすれば良いのか、いいかえ要約法、箇条書き構成、らしさのショーアップなど情報の達人が明かす知の実用決定版『知の編集術』から、本記事では〈「花いちもんめ」や「じゃんけん」まで、「子どもの遊び」は世界共通! …「遊び」にひそむ編集〉にひきつづき子供遊びについて、くわしくみていきます。 【写真】じつは「子どもの遊び」は世界共通だった…! ※本記事は2000年に上梓された松岡正剛『知の編集術 発想・思考を生み出す技法』から抜粋・編集したものです。
子供の極意=「ごっこ」「しりとり」「宝さがし」
子供遊びの基本型は三つのパターンに分かれる。「ごっこ」型、「しりとり」型、「宝さがし」型である。この基本型は情報の編集のしかたによって分かれている。 第一型の「ごっこ」型は、「ままごと」をはじめ世界中のどこにでもある遊びである。動物や大人のふるまいややりとりを真似ることが中心になっている。動物ごっこ、お医者さんごっこ、お店屋さんごっこなどがここに入る。模倣されたロールプレイング・ゲームと考えればよい。 歴史的にいうと、最初は狩りや漁労や性生活を真似た遊びが中心だったのだが、やがて近代になってからは家庭内の生活の真似事や工場の仕事の真似が多くなってきた。 「ごっこ」型の特徴は身ぶりや口ぶりを真似るだけではなく、段取りも真似るし、できばえの比較のしかたも真似るところである。さらに興味深いのは「ごっこ」でありながらも、大人の社会がもっている優劣関係を踏襲したり、「ままごと」で「まあ、ほんとにダメなお父さんねぇ」というふうに、大人社会がもっている失敗のパターンをも踏襲することだ。これにはいつもギョッとさせられる。また「ごっこ」では空間の見立てや道具の見立てが細部にわたっておこっていることも注目される。 第二型の「しりとり」型も世界中にある遊びだが、これはいうまでもなく言葉尻をつかまえて情報を連鎖していくゲームである。が、必ずしも言葉尻だけではなく、メンバーが次々に特定ジャンルの名称を言いつづけるという遊びもふくまれる。たとえば「野菜しりとり」とか「動物しりとり」。子供たちはさかんにお母さんとこうした分野別しりとりをやりたがる。 この遊びで注目すべきことは、相手が発信した単語情報をうけとめ、これをなんらかの関連性を保持しながら次に渡していくということにある。つまり、情報が一定の連鎖をつくりながら編集されている。つまったら負けである。 この「つまったら」というところが自主的でおもしろい。アタマの中で思い浮かべるものがなくなったということが、すぐ自分でわかる遊びなのである。そこが相互編集的であって、案外、自己編集的なのだ。 この「しりとり」の発展型は「連想ゲーム」(伝言ゲーム)になっていく。最初のプレイヤーが言った言葉が次々に耳打ちされるうちに変わっていってしまうというおもしろみを狙ったゲームだが、これについては編集にとってとても重要なしくみがふくまれているので、のちに解説したい(『知の編集術』第四章)。 第三型の「宝さがし」型は、スティーブンソンの『宝島』やポーの『黄金虫』に有名な世界だ。 宝物が埋められたマップをもとに、さまざまなオリエンテーリングが進む。複数のメンバーがそれぞれ知識の断片をもちよるところがミソになる。そしてだんだん目標が決まっていく。そこが編集的なのである。ピエール・ロチの 『少年』では、主人公の少年がわざわざ銀のスプーンをつぶして庭に埋め、これを簡易なマップでいつも想像するという場面が出てくる。 もともと「宝さがし」の祖型は「隠れんぼ」にある。複数のプレイヤーが別々のところに隠れていて、これを鬼にあたる一人が捜し出す。「もういいかい」「まあだだよ」と言いながら、「誰々ちゃん、見つけた」という合図のたびにこの遊びは前進していく(エチオピアではこのときニワトリの鳴き声「ククル」を連発する)。 この遊びは捜す役割の一人にはすべての情報が隠されているが、そのかわり鬼には「見えている世界」というマップが与えられているところが編集的だ。両者ともそれを手がかりに情報を捜し出すというゲームになっている。しかも参加者は「隠れんぼ」をする遊び場の空間的特性を知っているということが一定の条件になる。それがマップ性である。この「隠れんぼ」における情報(逃げ手)をオープンに明示したまま遊ぶと、いわゆる「鬼ごっこ」になっていく。 * 連載記事〈「他人のふんどしで相撲をとる」、外国人に伝わるようにするならどう訳す? …「編集という方法」に求められる大事なこと〉では、雑誌や書籍の編集だけではない、「編集」についてくわしくみています。
松岡 正剛