【都市化の残像】伊勢神宮 退位と遷宮と日本文化
「人間は都市化する動物である」。「しかしながら逆に、人間の心は、過去の記憶に満たされている」……。 建築家であり、多数の建築と文学に関する著書でも知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんは、人が持つ都市化へ進む力と、それに抗い、過ぎ去った時代の残像を懐かしむ反対のベクトルに着目しています。この連載では、若山さんが、具体的に街並みと建築を取り上げながら、「都市化の残像」を掘り起こし、その意味をつづっていきます。 ----------
伊勢神宮の前々回(1993年)の遷宮のとき「お白石持ち」という行事に参加する機会を得た。 合宿のように大部屋に泊まり込み、朝早く起きて白装束に身を包み、こぶし大の白い石を二つもって秩序正しく列をなし、社殿のまわりに置きに行くのだ。 側面すぐそばの位置を取ったので、石を置いて見上げたとき、削られたばかりの棟持ち柱が、赤子の肌のように淡いピンク色に輝いて、神宮も、また自分も、生まれ代わったような気がした。ちょうど神宮の森の高い樹々の上に朝日が昇り差して、空が抜けるように青かったことを覚えている。 日本の建築家として、至福の瞬間であった。 伊勢神宮はガードが固く、参拝客は二重の塀の外、よほど手を尽くしても塀を一つ越えられる程度で、建築学会の調査などでは決して正殿の前に立つことはできない。写真や図面が外に出ることもない。これに比べれば、現代企業が守秘しているという個人情報など大甘である。 お白石持ちに外国の宗教学者が参加するという試みに加えてもらった僕は、運が良かった。
ところで天皇陛下の御退位は、法的にはなかなか大きな問題であるようだ。 敗戦時の現人神からの人間宣言につづく「第二の人間宣言」と言う人もいる。たしかに「象徴」という立場も微妙で、占領下に定められた法体系がそのままということに問題があるのかもしれない。 国民の反応はきわめて好意的である。日々の御公務に加え、各地の戦没者を弔い、被災地の人々の前に跪く姿を、尊くまた厳しいものと実感しているからだろう。 僕は、伊勢の「式年遷宮」との関連を考えた。 日本神道の最高位(神社本庁の本宗)にある神宮の正殿その他社殿類一式を、20年ごとにそっくり建て替える。 こんな国は他にない。 なぜこんな制度ができたのか。 「技術の伝承のため」という説明がよくされるが、今のように建築技術が変化する時代ではない。昔の人はそんなふうには考えなかったろう。解体したあとの木材を末社で再利用するから「環境に配慮している」とも説明されるが、これも現代的な解釈である。 この制度が定められたのは、天武天皇の御代であり、持統帝のときが最初の遷宮である。 どういう時代であったか。