錦の御旗は「秘密中の秘密」 山口で製作、戊辰戦争で新政府軍が使用 経緯記した維新志士の手紙見つかる
明治維新の際の戊辰戦争で新政府軍が錦の御旗(錦旗)を使い始めた経緯を維新の志士品川弥二郎が振り返った書簡が、旗の切れ端とともに京都市内の施設から見つかった。品川が自ら運んだ生地を使って山口市で秘密裏に製作されたことなどをつづっている。 【写真】書簡の一部や錦旗の切れ端 書簡は縦17・2センチ、横111・8センチで、岩倉具視の秘書を務めていた山本復一(またかず)宛て。錦旗は「右府公(岩倉具視)が秘密中の秘密にて製作させた」と明かし、製造場所は「山口の後ろ河原町」の土蔵2階だと記している。 旗の生地は、京都から「やじ(品川弥二郎自身)が山口に持ち帰った」と回顧している。京都市にある京都府立京都学・歴彩館へ2015年に寄託された史料から、同市の歴史研究家原田良子さん(56)が発見した。書簡と一緒に寄託された旗の切れ端は縦36・5センチ、横50・7センチで紅色をしている。 錦旗は新政府軍が掲げて旧幕府軍に精神的ダメージを与えた。品川の手紙は知られていたが、現存するかどうかなどは分かっていなかった。また、山口市後河原には「錦旗製作所跡」の石碑がある。 明治維新史に詳しい佛教大の青山忠正名誉教授は「筆跡から品川の書と断定できた。山口市で錦旗を製造した史実を裏付ける貴重な一次史料だ」としている。
中国新聞社