榊原郁恵さん「渡辺徹だったらどうするか、をいちばん考えた1年でした」|STORY
芸能界きってのおしどり夫婦として広く知られた、渡辺徹さん・榊原郁恵さんご夫婦は、私たちの憧れです。ところが2022年、徹さんは61歳の若さで、天国へと旅立たれました。35年間の結婚生活を振り返り、今、郁恵さんが、何を感じ、考えているのかを、語っていただきました。そこには、いい夫婦になっていくヒントがいくつもちりばめられていました。
Ikue Sakakibara
1959年生まれ。’76年『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』でグランプリを獲得し、翌年デビュー。一躍アイドルに。ブロードウェイミュージカル『ピーター・パン』の初代主役を務め、現在、テレビ、ラジオ、舞台など幅広く活躍。長男の渡辺裕太氏も俳優として活躍中。
きっと帰ってきてくれると、最期まで疑っていませんでした
―そんな素敵な日常(前編記事参照)が、昨年突然に変わってしまったのですね。 それまでも、何回か大病をしたことがありましたが、ちゃんと復活して帰ってきました。あの日も、入院した夜にはICUに入りました。ICUにも何回かお世話になったことがあったので、今回も必ず治る、復活すると信じていました。 面会に来ていいと病院から連絡がありましたが、コロナ禍でもあり、1日目は遠慮したんです。でも翌日も連絡があったので、面会に行きました。そのときはもうすでに意識はなく、話すこともできませんでした。 実は最初から、危篤とか、お子さんたちも呼ばれたら、という言葉が医師からはあったのですが、ピンと来なくて……。大事だとは捉えられないまま、「大丈夫、大丈夫」と言い続け、親、兄弟、親戚、ずっと同居してきた母にも会わず、最期のときを迎えることとなりました。 彼が家に帰ってきても、家族は、現実をなかなか受け入れられませんでしたし、私にも何かやり方があったのではないかという思いが残りました。仕方がなかったんだよね、と思えるまでにはずいぶん時間がかかりました。
「渡辺 徹」のことを表現できるのは 私と息子だけだから、聞いてもらえるなら、いっぱいしゃべりたい
◇ 彼だったらどうするかをいちばん考えた1年でした ―会見では、郁恵さんと裕太さんが、涙ひとつ見せず気丈に明るくインタビューに答えられていらっしゃいましたね。 裕太は本当に偉かったです。明るくしよう、と相談したわけでありませんでした。ただ、渡辺徹は言葉を発することができないのだから、彼を表現できるのは、裕太と私だけ。さみしいとか辛いとかいう気持ちはあるけれど、渡辺徹のことを聞いてもらえるならいっぱいしゃべりたい。また、現場で、「かわいそうね」とか「触れちゃいけない」といった雰囲気を作りたくなかったんです。むしろ、触れてほしいし、しゃべりたかった。「渡辺徹さんが、あのときあんなに食べてすごいことになってたよね」なんて馬鹿話をしたいし、聞きたいんですね。そんな思いが私たちを自然と明るくさせたんだと思います。 世の中が、ワールドカップ一色だった中で、報道陣が集まって、彼を取り上げてくれることが嬉しかった。裕太に「榊原郁恵」のスイッチが入ったと言われましたが、そうだったのかもしれません。 ―会見では、郁恵さんと裕太さんが、涙ひとつ見せず気丈に明るくインタビューに答えられていらっしゃいましたね。 裕太は本当に偉かったです。明るくしよう、と相談したわけでありませんでした。ただ、渡辺徹は言葉を発することができないのだから、彼を表現できるのは、裕太と私だけ。さみしいとか辛いとかいう気持ちはあるけれど、渡辺徹のことを聞いてもらえるならいっぱいしゃべりたい。また、現場で、「かわいそうね」とか「触れちゃいけない」といった雰囲気を作りたくなかったんです。むしろ、触れてほしいし、しゃべりたかった。「渡辺徹さんが、あのときあんなに食べてすごいことになってたよね」なんて馬鹿話をしたいし、聞きたいんですね。そんな思いが私たちを自然と明るくさせたんだと思います。 世の中が、ワールドカップ一色だった中で、報道陣が集まって、彼を取り上げてくれることが嬉しかった。裕太に「榊原郁恵」のスイッチが入ったと言われましたが、そうだったのかもしれません。 ―あれから1年がたちましたが、どんなお気持ちでしたでしょうか。 あっという間でした。 葬儀は裕太の提案で家族葬で行いました。家族の動揺が大きかったのと、夫は、大勢の中心にいるのも好きだったけれど、家族だけの静かな時間も好きだったから、まずは、家族で送り出そうと。そして、お別れの会を準備して。 また、この1年は、渡辺徹が立ち上げた、「徹座」や朗読劇などのイベントが目白押しでした。彼が総合プロデューサーで、企画、アイデアを出し、スタッフも集めました。でも指揮者である彼がいない。その中でイベントを実行するのは大変でした。私は自分のことはできても、彼のように総合的なことはなかなかできません。彼は困難を投げ出さず、逆にどうしたらみんなが笑顔で楽しめるかを考えるチャンスと捉え、丁寧に立ち向かっていました。 渡辺徹ならどうするか、彼のことをこれまででいちばん考えた1年でした。それが、亡くなってからと言うのは…本当に申し訳ないけれど。 彼の置き土産を実現させて、渡辺徹は、どんな場面でも見事に俯瞰で見られる人だったとあらためて思いました。さすが元生徒会長だなって。 ―本当に素敵な、理想のご夫婦ですね。今後、私たち40代が徹さん・郁恵さんご夫婦のような素敵な夫婦になれるよう、ぜひアドバイスをお願いいたします。 40代はまだ若い。夫婦の目標はまだ決められないですよね。だから、今は自分のやりたいことを優先してもいいのでは、と思います。理解し合うことも、良い父・母であることも大事です。でも自分磨きも大切だし、パワフルにできる時期です。 子どもは意外と、そんな親を人としてきちんと見ているんです。だって、「お母さんはこういう人だから」って言うでしょう? そうして、夫婦それぞれが宝物を持っていれば、60代になって互いに持ち寄ったときに、パズルのようにはまっていくのではないかなって思います。