『チ。 ―地球の運動について―』作者・魚豊の原点とは?「好奇心を肯定する」マンガを描いた理由
10月5日からTVアニメ『チ。 ―地球の運動について―』が放送されている。第26回手塚治虫文化賞のマンガ大賞など数々の賞を席巻した作家・魚豊による本作は、地動説を証明することに自らの信念と命を懸けた者たちの物語だ。 【写真を見る】原作者・魚豊 放送を前に作者である魚豊にインタビューを実施。作品そのものの魅力から、魚豊の原点までを語ってもらった。 ――まず、なぜこのマンガを書こうと思ったんでしょうか? 「連載1作目が『ひゃくえむ。』という青春スポ根みたいな作品だったので、ガラっと変えて人が死ぬスリリングなものが書きたいなと思いました。知性と暴力に興味があったので、題材を探していた時、地動説がぴったりだと思って選びました」 ――そこで地動説にたどり着くのがすごいですよね 「ガリレオの宗教裁判などが記憶にぼんやりとあって。でも調べてみると、色々と複雑な歴史で、それを含めてすごい面白いなと思ったんですよ。もうひとつは、全然関係ない文脈でずっと哲学が好きでした。人間の思想とか世界観の意識が変わったたとえとして、コペルニクス的転回やパラダイムシフトなどが挙げられますよね。それも地動説についての事ですし、あの時代に人間と世界の関係が大きく変わったんだろうと思ったので、フィクションとしてぴったりだと思いました」 ――マンガとしての独自性が魅力のひとつだと思いますが、影響を受けた作品はありますか? 「『寄生獣』、『闇金ウシジマくん』、『賭博黙示録カイジ』とか。あとは、『亜人』や『DEATH NOTE』、『ピンポン』もすごい好きなマンガです。そういうものから影響を受けています」 ――具体的には、作品にどのような影響を及ぼしているのでしょうか? 「リアリティーラインと作家の顔が出てくる度合いというんですかね。このセリフ、『作者が喋っているじゃん』というのは一般的には敬遠されがちだと思うんですけど、それこそが作品を描く意味、読者が読む意味だと思っています」 ――『チ。 ―地球の運動について―』は主人公が変わっていき、物語がどんどんと転がっていくのも大きな特徴ですよね 「世界が大きく変わる時って一人の天才が短期間で変えるんじゃなくて、色んな時代で色んな場所で色んな人が関わってイノベーションが起きるんだと思います。ダイナミックな動きを描きたかったので、部を分けて主人公も変えて、認識が動いていくところを描きました」 ――第何部と分かれながら、『チ。 ―地球の運動について―』は8巻で完結しています。魚豊さんはこの作品に限らず、他の作品もこれまで10巻以内で終わっています。こだわりはあるのでしょうか? 「アリストテレスが『詩学』で言っているんですけど、『適切な長さが物語にはある』と。作家活動において、それは意識していて、適切な長さになってない、期を逃してしまっている物語ってこの世にすごいあると思います。だからこそ、僕は適切な形での終幕を目指したかった。『チ。』の場合は8巻が惑星の数という小ネタもありました」 ――マンガの中身の話もお聞きしたいのですが、『チ。 ―地球の運動について―』は最初から過激なシーンも多いと思います。描くことに怖さはなかったんですか? 「全然なかったですね。青年誌だったので、むしろそういうシーンが読者の方は好きだと思っていました。僕もそういうシーンを見て、怖い、けど興味深いと、見ていたので」 ――魚豊さんが特にお気に入りのシーンや思い出に残っているシーンはありますか? 「1話ですかね。最初に火炙りにされる人が出てくるんですけど、あの人は鼻が取れれていて。鼻が取れたら、断面はどう見えるんだろう、軟骨とかあるのかなと考えました。だから、おそるおそるググったんですよね(笑)。検索一つで人体の内部が簡単にわかってしまう時代に驚きつつ、それがグロかったので、単に嫌な記憶として残っています。こういう作品を描くとこういうことが起きるんだと思いましたね」 ――キャラクターでいうと、描いていて感情移入してしまう人物などはいましたか? 「大体同じくらいの距離感で描いているので、そこまで思い入れが残っているキャラはいないんです。ただ、コルベというヨレンタの論文を奪っちゃう人がいるんですけど、その人は印象に残っています。最初は、あの時代だし明確な女性差別者を描いたんですけど、2020年のマンガとしてそれを描くのは露悪的だし、ステレオタイプだなと思いました。だから、むしろリベラルで、周りに配慮しているつもりなんだけど、あの時代の限界でそれができないというキャラ造形になり、自戒の念も込めて説得力のあるし、アクチュアルなキャラになったかなと思い出に残っています」 ――改めて、作品全体について、知らない人に一言で説明するとしたらどうなるでしょうか? 「『好奇心を肯定する』ですかね」 ――魚豊さん個人のお話も伺いたいのですが、そもそも天体や宇宙に興味があったんですか? 「天体や宇宙も好きだったんですけど、倫理のほうが好きでしたね」 ――作風からてっきり理系の方かなと思っていました 「僕自身は完璧な文系です」 ――頭が良くないと描けない作品だと思うのですが、実際のところはどうでしょうか? 「いやいや、勉強は全然です。受験も一回もしたことないですし(笑)」 ――そんな中で知性や好奇心をテーマに選ぶってすごい決断だと思います。もともと、興味があったのでしょうか? 「強く思い始めたのは高校の倫理の授業です。こういう人たちが昔いたんだと知り、それまでは全科目興味なかったんですけど、哲学を通して、全科目興味が湧きました。この人が生きていた時代ってどういう時代なんだと歴史を学んでみたりとか...。結局、勉強は好きじゃなかったのでやらなかったんですし、頭が良くなったとかそういう訳ではないのですが、これだけ認識が変わることはあるんだと感じて、それが大きなきっかけになりましたね」 ――改めて感性豊かだなと感じるのですが、今「面白い」と感じるものはありますか? 「20代の前半は緊張感だと思っていたんですね。緊張感のあるキャラクターや構成、展開。緊張感の公式って葛藤+強迫観念だと思ってます。これがうまい具合に入ると、緊張感になる。ただ、20代後半から思っているのは、同時に欲望が入って、その二重で挟まれると、やみつきになっていくんです。(Netflix配信のドラマ)『地面師たち』とかまさにそうだと思います。欲望の方程式はまだわからないので、実感を持ってそういうものを描けているかというと、そこまで強く描けてはいないと思うんです。『チ。』は知的な欲望だと思うんですけど、もっと別のレベルの欲望を今後描ければいいなと」 ――もちろん、褒め言葉なんですが、やはり才能ある人は変わっているんだと感じているのですが、ご自身で自覚はありましたか? 「あんまりなかったですね。ただ、根拠もないんですけど、昔から『漫画家になれるかも』って思っていたんですよね。運がよくて、学生時代から友達がいてくれて、僕の言ったことに笑ってくれて、自分の言葉ってウケるんだと思っていました。もしずっとスベリ続けた人生だったら、こうはならなかったと思います。もしかすると、周りは気を使ってくれていたのかもしれないけど、僕は信じちゃっていい方に転びましたね(笑)」 ――なるほど。お笑いが漫画家としての原点にもなっているんですね 「笑いがめっちゃ重要だと思っています。漫画家って基本的に『ウケる』というフィードバックがない職業なんですよね。現場がなくて、部屋でずっと作業してる。漫画の作劇には大衆意識が重要だと思うんですが、これ言ったらウケるとかスベるとか、不快な思いをするかなとか、それのすり合わせが僕の場合は学生時代にできたんです。今思えば、漫画家としてとてもありがたいことでした。リアルな現場があると、スベったら修正しようとなりますけど、マンガは違います。誰がどう読んでるかあまりわからないので、自分の中の『あるある』に自信がないと、描くのが不安になってくると思うんです。僕が不安にならず、ある意味で雑に描けているのはクラスでウケていたことが自信になっているのかなと思います」 ――それだけ成功体験があると、お笑い芸人の道は考えなかったんですか? 「漫画家はずっと頭にあったんですけど、お笑い芸人になりたいとある時期まで思っていました。ただ、自分はお笑いが好きすぎるからこれで面白くないって言われたら絶対に心が折れるというのと、お笑い芸人になるには自分は能力がないくせにプライドが高すぎると思い、その2点においてやめましたね」 ――結果、漫画家を選んで大成功でしたよね。今後の目標などはありますか? 「『ひゃくえむ。』と『チ。 ―地球の運動について―』と『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』で、それぞれ個人の話と世界の話と社会の話を描いたので、次は衣・食・住をテーマにしてやりたいです」 ――10月からアニメがスタートしました。まだ放送前ですが、アニメ化するにあたって要望したことはありましたか? 「『やりたいことはありますか?』と聞かれたときに、BGMとか劇伴は牛尾憲輔さんという方に作ってほしいというのは依頼しました。通るかわかんないけど、それだけは言わせてもらいました」 ――牛尾憲輔さんというと... 『聲の形』や『ピンポン』を担当している方なんですけど、作品をコンセプチュアルに作ってる方で。『聲の形』は耳が聞こえない方の話なので、補聴器を表現する為にピアノの中に録音機を置いたり。世界観から音楽を作っていく方で、それでいてできた音楽がめちゃくちゃかっこいい。音楽が好きだと思っていたら、そういう人だったので、こんな夢みたいな人いるんだと思いました。なので、自分の作品がもしメディア化するんだったら、こういう方に音楽をつけてほしいというのが夢としてあってお願いしました」 ――やはりアニメも細かいところを注目して見ているんですね 「いや、そんなことはなくて。マンガもアニメもあまり見ないですね。数少ない見たものが牛尾さんの担当作品でした。というか、牛尾さんきっかけで見る作品がありました。劇伴があまりによくて、劇伴だけずっと聞いているということもあります。『聲の形』は偶然テレビで見て、原作がすごい好きだったので、面白かったしなにより曲がいい。原作にはない要素だったので、これはすごいなと思いましたね」 ――『チ。 ―地球の運動について―』のアニメ化で楽しみにしているシーンはありますか? 「戦闘シーンですね。マンガでは止まっているので、どういうふうに動くんだろうという興味はあります」 ――最後に、どういう人に見ていってほしいですか? 「もちろん、全人類に見てもらえたら嬉しいです!」 取材・文=まっつ
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