制作の現場は“地獄”の日々「真面目なやつが損する世界だったので悔しかった」テレビプロデューサー・上出遼平がテレビ東京時代を振り返る
制作の現場は“地獄”の日々「真面目なやつが損する世界だったので悔しかった」テレビプロデューサー・上出遼平がテレビ東京時代を振り返る 2023-11-22 (水) 22:00 ▶▶【音声を聴く】「長野智子のテレビなラジオ」 Twitter Facebook LINE このエントリーをはてなブックマークに追加 TOKYO FMの音声配信プラットフォームAuDee(オーディー)の番組「長野智子のテレビなラジオ」(隔週火曜・10時配信)。1985年のフジテレビ入社以降、テレビ業界で活躍してきたフリーアナウンサー・長野智子が、テレビを牽引する制作者・出演者をゲストに招き、テレビの過去・現在・未来を語ります。 11月14日(火)、11月28日(火)の配信では、元テレビ東京プロデューサー・ディレクターの上出遼平さんがゲストに登場。ここでは、11月14日の内容をお届けします。テレビに対する見方や、テレビ東京に入った経緯について語ってくれました。
◆制作の現場は“地獄”の日々だった
1989年、東京生まれの上出遼平さん。早稲田大学を卒業後、2011年に株式会社テレビ東京に入社。「ありえへん∞世界」「世界ナゼそこに?日本人 ~知られざる波瀾万丈伝~」「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」(テレビ東京)などの人気番組を担当します。企画・演出・撮影・編集など番組制作の全過程を1人で担った「ハイパーハードボイルドグルメリポート」でギャラクシー賞を受賞。2022年6月にはテレビ東京を退社し、以降はフリーランスとして活動中です。11月9日(木)には、初の書籍「歩山録」(講談社)を発売しました。 長野:配属はいきなり制作に? 上出:はい。最初からですね。当時は2011年、3.11直後の入社でした。 長野:大変な時期ですね。 上出:研修みたいなものもすっ飛ばされて即現場で、いきなり番組制作をやっていた記憶があります。 長野:実際のテレビ制作現場はどうでしたか? 上出:どこまで言っていいのかわからないんですよね。 長野:一言で言うと? 上出:地獄。 長野:(笑)。 上出:何度か泣きましたね。当時、テレ東は神谷町にあって御成門に編集所があり、下っ端はその間を歩くんですね。東京タワーがあるんですけど、見上げると泣いちゃってましたね(笑)。 長野:そうですかあ。怒られるのがつらかった? 上出:怒られるっていうか、否定されるんですよ。あらゆることがそうだと思うんですけど、納得感の有無ってメンタルにとって重要じゃないですか。納得感がないことが多い世界なので、責任逃れや責任転嫁が1日7件ぐらい起こる世界ですから。 真面目なやつが損する世界だったので悔しかったですね。あと、睡眠不足はありとあらゆる側面で悪影響があると思うので、眠れる労働環境を作れない状況はよろしくないですよね。 長野:そんななかでよく頑張りましたね。やりたいことができるようになったのは何年目ですか? 上出:「ハイパーハードボイルドグルメリポート」が初めてなので、6、7年目です。耐えられてはいたので向いていたのかもしれないですね。僕には同期が4人いたんですけど、最初の半年で2人いなくなってしまいました。 長野:すごいね、テレビ東京。 上出:そんなことを言うと敵が増えちゃいますけど、今は本当によくなったみたいです。本当につらかったけど耐えられたのは、中学校のときの試験勉強とかをやっていたからだと思いました。中学校の中間とか期末試験とかのたびに、1週間丸々寝ない生活を送っていたんですよ。あの地獄に比べたらわりとどっこいかなと感じたんですね。 入社して2、3年ぐらいは激しい日々を送って、自分のなかで苦しみに対する耐性がつきました。本当に嫌だったけど、結果的には一部いい部分もあったというか。自分の番組をやるってなったときに、最終的にどこまで踏ん張れるかが重要になるじゃないですか。締め切りもあるし、どこまでクオリティをつめられるかっていう、踏ん張る力を養えたと思います。なので、ギリギリ肯定できるかなと。 長野:なるほど。