富士山と宗教(12) 須走と本宮の争いは富士山利権化の始まりだったのか?
富士講と関わりが深い北口本宮冨士浅間神社、遥拝所のある山宮から遷ったとされる富士山本宮浅間大社、噴火の鎮火を祈った地に祀られたという富士山東口本宮冨士浅間神社。それぞれ富士山の北、西、東方に位置し、さらに南には須山浅間神社がある。富士山麓の四方に浅間神社があるのだ。江戸時代、東と西の浅間神社間で争いが勃発した。
神社と登山道と地域が「一体化」
静岡県富士宮市。富士山の西方に位置する同市は、富士山信仰の「メッカ」として年間を通じ多くの参拝客、観光客が訪れる。また、夏山シーズンには表口登山道の起点として登山客が訪れて賑わいを見せる。富士宮という名の通り、富士山そして富士山信仰によって発展してきた。その核にあるのが富士山本宮浅間大社だ。ちなみに富士山本宮浅間大社が「大社」になったのは戦後の1982(昭和57)年で、それ以前は富士山本宮浅間神社だった。 浅間神社があり、そして登山道があるのは富士宮だけでない。北の山梨県富士吉田市上吉田地区は北口本宮冨士浅間神社を核に吉田口登山道の起点となっており、東の静岡県小山町須走地区は富士山東口本宮冨士浅間神社を核に須走口登山道の起点となっている。南には須山口登山道があり、その起点は静岡県裾野市須山地区にある須山浅間神社。須山登山道は宝永の噴火によって登山道そのものが壊滅、現在は御殿場口ルートが南側の登山道となっている。 富士山の四方のそれぞれの地域に浅間神社があり、富士山頂に至る登山道があるわけだが、吉田口登山道と須走口登山道は8合目で合流し、そこから先は1つの登山道で富士山頂へ至る。 富士山頂には、江戸時代中期以降、富士講の流行とともに多くの人が登拝に訪れるようになったが、それ以前も修験者や山伏などが富士山に入り登拝をしていた。富士山の祭神は、内院と呼ばれる富士山噴火口に祀られていると考えられており、参拝者は拝所から散銭を噴火口に投げ入れて参拝をした。 その散銭の中には参拝者が有力者から依頼されて投げ入れる多額の散銭もあり、また、富士講が定着した江戸中期以降は、講社で集めた散銭が富士山噴火口に投げ入れられたであろう。1シーズンの間に富士山噴火口にたまる散銭の量は相当なものであった。