甲子園4強から東大野球部への道のり「毎日1時間半の勉強はどんなに疲れていてもやる」松本慎之介が絶対に譲らなかった文武両道
【対極的な両親が文武両道のカギ?】 ーー松本さんは昔から文武両道に憧れていた? やっぱりどっちもできるってカッコいいなとは思っていました。それに「文武両道」っていう言葉の響きも、なんか、好きなんです(笑)。それでちょっと憧れたっていうのはありますね。 ーー文武両道を東大で極められたら、いいですね。 そうですね。僕としても楽しみです。 ーーところで、文武両道は松本家の教育方針も関係していると思いますか? 僕の家は両親と姉との4人家族で、母のほうが熱いタイプで、父はあまり口出ししないタイプで、父には怒られたこともないんですよ。母が「ちゃんと勉強しなさい!」って言うのを、父が「まあまあまあ」って感じでいてくれて。そういう対極的なところが、今振り返ると勉強も運動も頑張れた理由だったのかもしれないです。 ーー松本さんが野球に興味を持ち始めたのは、いつ頃になりますか? 小学3年生の時、2013年の第3回WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)をテレビで見て、野球にちょっと興味を持ちました。その時、近くの公園で僕の友だちが野球をしていて誘われたのがきっかけになって少年野球チームに入りました。 ーー最初から、ポジションはピッチャーだったんですか? 左投げだったので、「ピッチャーやってみない?」って感じでしたね。最初の頃はファーストとピッチャーをやってました。 ーーそこから勉強と野球の両立もスタートするのかなと思いますが、小学生時代の得意科目と不得意科目も聞かせてもらえますか? 算数が得意で、国語が苦手だったと思います。いや、得意とか苦手とかっていうより、算数はなんかできたって感じで、国語はなんかできないっていう、そんな軽い感じだったんじゃなかったのかなと。
【中学時代は勉強に飽きて野球も勝てず】 ーーそして、松本さんは中学受験に挑みます。いつ頃から受験勉強を始めましたか? 塾に行き始めたのは小学6年ですね。小5までは「Z会」とか、家でできる通信添削で勉強をしていたんですが、小6になって受験をしてみたいと思い、(東京・)武蔵境にある「スタジアムウエスト」という塾に通うことにしたんです。 ーーその頃から、勉強で東大に、野球で甲子園に、両方とも行きたいと? 昔から強い意志があったわけではないですね。本気で東大を目指したのは、高校3年の夏の大会で野球が終わってから。それよりも甲子園は小学校で野球を始めた頃にはもう、一番大きな目標で、甲子園で投げたいなってずっと思っていました。東大と甲子園のどちらかって言ったら、まずは甲子園でした。 ーーそうなると、開成・麻布・武蔵の御三家のような学校よりも、勉強も野球も両方ともできるところが、松本さんにとっての中学受験のポイントになったのでしょうか? そうですね。僕はそこまで勉強はできなかったし、当時はなんか大学受験はしたくないと思って、早実(早稲田実業中学)を第1志望で受験したんですけどうまくいかなくて......。そこで、勉強と野球の両立をある程度できるっていうところから、國學院久我山中学に入学したんです。 ーー國學院久我山中学での勉強と野球の両立はどんな感じでしたか? 中学は月曜から金曜、そして土曜も午前中まで授業があって、学校が終わった土曜の午後だけ(野球の)練習に行く感じでした。だから、中学1年の時はちゃんと勉強していて、成績がよかったんですけど、中2からちょっと飽きてきちゃって(笑)。 どんどん難しくなっていって、勉強するのがイヤになっちゃって、中3の成績はあまりよくなかったです。たぶん、クラスの真ん中より下、いや、下から数えたほうが早かったような......。 ーーその分、野球のほうを頑張っていたってことでしょうか? 中学の野球は、そんなに勝てなかったので、あまり楽しくなかったんですが、高校で活躍したいというのはあったんで、高校入ったら頑張ろうかなみたいな感じはありました。