<106億円熔かした男を直撃>大王製紙前会長の井川意高が今、水原一平に思うこと「大谷選手の金を盗んでやろうというより、一時的に借りているだけと考えていたのでは」
お上に守ってもらいたい日本人
私はギャンブルにハマり多くのものを失ったとはいえ、じゃあカジノをはじめとするギャンブルは悪だ、全部取り締まってなくしてしまえ、とは考えていません。人間、18歳を過ぎて大人になればすべて自己責任ではないでしょうか。 ギャンブルにハマって身を持ち崩すのもその人の自由で自己責任。ギャンブルに近づかず退屈な人生を送るのもその人の自己責任。私のように周りに迷惑をかけるかもしれないけれど、それも自己責任。身を持ち崩したら大変だから、そんな人が増える前に「国に規制してもらおう」「お上に守ってもらいたい」なんて意識が強いのは、世界中を見わたしても日本人くらいではないでしょうか。 大谷選手は日本の宝だと思いますし、被害にあって大変気の毒だけれども、大金を稼いでいればその金をなんとかしてやろうと近づいてくる人は大勢いるもの。この先も近づいてくるでしょう。そうした人を見極める目を持つしかありません。大谷選手といえども一生、周囲に守られ無菌状態で生きていくことはできませんから。 水原被告の件は大変アンラッキーだと思いますが、大谷選手には“人生のデッドボール”に当たったと思って気持ちを切り替え、これからも活躍していただきたいですね。
逮捕前はほぼ毎週末マカオでバカラ
私はギャンブルを推奨しているわけではありませんよ。経験したことがないから興味がある、やってみたい、という人には「身を滅ぼすかもしれないので、やめておいたほうがいいですよ」とお話しています。106億8000万円もすってケロッとしていられる私のような人間は、そうはいませんから。「身を滅ぼすかもしれないけどやってみたい!」という方には「じゃあどうぞ」というしかありません。自己責任ですから。 先ほどお話した私の豪州での初カジノは、ゴールデンウィークに友人家族と一緒に行った家族旅行での体験でした。ビギナーズラックで100万円が2000万円になったとはいえ、それからすぐにカジノにハマったわけではありません。当時は大王製紙の取締役でしたから、会社の仕事があり、家族もいましたから、年2回の長期休暇のうち1回を、家族も楽しめるラスベガスに出かけるかどうか、という程度でした。 頻繁にカジノに足を運ぶようになったのは、2003年頃からです。六本木の飲み屋で知り合ったジャンケット(カジノの仲介業者、コンシェルジュのようなもの)に導かれ、マカオのVIPルームで遊ぶようになってからです。いつからかお金を借りて賭けることを覚え、さらにクレジットカードのキャッシングや高級腕時計をカタに賭けるようになり、大王製紙の社長に就任してから1年後の2008年頃には、カジノ通いに拍車がかかっていきました。 最初は100万円単位のかわいい勝負をしていました。賭け方もかなり慎重。ところが、負けが拡大するにつれ賭け方が大胆になり、賭ける金額も億単位に。当然、ポケットマネーでは足りなくなりますから、2010年には大王製紙の子会社の役員に電話をかけ「個人的に運用している事業がある」などと伝え、金を引っ張るようになりました。 家族には「大事な用事があるから」などと説明し、その実、「なんとか負けを取り返そう」と焦っていました。水原被告も同じような気持ちだったと思います。私は1人で週末を利用してマカオやシンガポールへ飛び、金曜の夜から日曜の夜まで寝食もそっちのけでバカラをしていました。 逮捕される7か月前の2011年4月以降は、ほぼ毎週末マカオへ出かけていましたね。でも、私がギャンブルの沼にハマっていることを、私の周りの会社の人間や家族や親友も、誰も気付いていませんでした。 取材・文/中野裕子 写真/村上庄吾
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