ゲームボーイにあった「謎の端子」 最初は「用途不明」の穴が、世界を変えた?
『テトリス』の爆発的ヒットで普及した通信プレイ
ゲームボーイの通信機能が大流行するきっかけとなったのは、1989年6月14日に発売された『テトリス』です。同作は「テトリミノ」と呼ばれるピースを落下させてラインを消していく落ち物パズルゲームで、GB版よりも前にアーケードゲームやファミコン向けに展開されていました。 一方のGB版は、通信ケーブルを介した対戦プレイを初めて実装しました。それまでになかった「自分が消したラインを相手の画面へ送り込む」要素が、対戦ゲームとしての『テトリス』のポテンシャルを最大限に引き出したのです。自分の画面でテトリミノを消すと、向かい合ったプレイヤーから驚きの声が上がってきます。友人や家族と対戦プレイで盛り上がれる同作は、GB版だけでも400万本を超える大ヒットを記録しました。 ちなみにGBには、『テトリス』以外にも対戦プレイが楽しめるゲーム作品がいくつか発売されています。任天堂が手掛けたパズルゲーム『ヨッシーのクッキー』をはじめ、『雀卓ボーイ』(テーブルゲーム)、『熱血高校ドッジボール部~強敵!闘球戦士の巻』(スポーツゲーム)など、そのジャンルもさまざまです。なかには『F1レース』のように、最大4人プレイに対応したGB用ソフトも作られました。 『テトリス』の驚異的なヒットにより、GBはビデオゲーム市場で一定以上の存在感を放っていました。ところが1990年代の中盤に差し掛かる頃には、GB用の新作タイトルも数が減り、かつての勢いは陰りが見えていました。 そのような状況下で、ある1本のゲーム作品がGBの寿命を大幅に伸ばすことに成功します。その新作タイトルとは、今や日本のみならず世界にとどろく巨大IPとなった「ポケットモンスター」(以下、ポケモン)シリーズの第一作目『ポケットモンスター 赤・緑』(以下、ポケモン 赤・緑)です。同作は口コミ効果も相まって売上を伸ばし続け、各バージョン込みで3000万本を超えるソフト売上記録を叩き出します。結果としてGBの注目度を再び引き上げただけでなく、「二匹目のどじょう」を狙うフォロワーも数多く生まれることになりました。 1996年2月27日に発売された『ポケモン 赤・緑』は、不思議な生き物「ポケモン」と出会い、ポケモントレーナーとして対戦を繰り返しながら各地を冒険するRPGです。28年にわたって展開が続く人気シリーズの原点であり、「ポケモン」を象徴する対戦と交換の文化は、すでに当時の時点で確立されていました。 『ポケモン 赤・緑』は、GBの通信機能を用いた「ポケモンバトル」ならびに「ポケモン交換」に対応しています。前者は自身が育てたポケモンを繰り出し、ほかのプレイヤーと戦わせる要素のこと。そして後者は文字通り、ゲーム内で仲間にしたポケモンをほかのプレイヤーと交換することを指します。 対戦プレイは上述の『テトリス』やそのほかの作品を含め、それまでのGB用タイトルでも見られた仕様です。しかし、他者と自身が所有しているもの(ここではポケモン)を交換できるだけでなく、「バージョンによって登場するポケモンが違う」という「トレード&バトル」を前提としたゲームデザインは、まさしく発明といっても差し支えない代物でした。 今や携帯ゲーム機のポジションはスマートフォンが担うことになり、通信プレイもわざわざケーブルを用いるのではなく、オンライン環境が主流になりました。必要なものがそろっていれば、いつでもどこでも気軽に誰かと対人戦や共闘が楽しめるのです。便利になった世の中ですが、かつてはアナログな通信ケーブルが、ゲームのプレイ体験に新たな価値を生み出し、人と人の絆をもつなげてくれていました。
龍田優貴