伊能忠敬が食べた?日本全国を測量中に宿にお泊まり 滞在時4日間のレシピを見つけて200年以上前の食事再現
伊能忠敬は1809(文化6)年に滞在
長野県下諏訪町にある旧中山道下諏訪宿の「本陣岩波家」で21日、江戸時代の測量家伊能忠敬(1745~1818年)が1809(文化6)年に本陣に滞在した際、食べたとみられる料理を再現する催しがあった。実践女子大(東京)の研究者らが時代考証しながらレシピを考案。今後、本陣で再現した料理を提供することも見据えている。 【写真】再現したその他の料理
本陣が昨年3月に県宝指定されたことを受け、岩波家28代当主の岩波尚宏さん(52)が企画した。
代々伝わる献立表 調べてみると伊能の滞在日の記述も
岩波家に伝わる長さ約3メートルにわたって記された献立表には9月24~27日までの日付と料理、材料などが記されていた。本陣に伝わる宿帳や史料と付き合わせると、測量で下諏訪町を訪れた伊能の滞在日と合致。岩波さんは伊能が食べた食事の献立表ではないかと推測している。
岩波さんは知人を通じ、実践女子大の元教授で江戸時代の料理を研究する大久保洋子さん(81)に相談。大久保さんは献立表を読み解き、当時の料理本などを参考に調味料や調理方法を研究した。同大の佐藤幸子教授(64)とともにレシピを作った。
佐藤教授らは当時普及していたかつお節で取っただしを主体に、濃口しょうゆやみりんなどで用いて味付けすることにした。献立表に「むし貝(アワビ)」と書かれた雑煮の具材はアサリで代用。「大鰻(おおうなぎ)」との記述もあり、当時、江戸で流行していたウナギのかば焼きも盛り込んだ。
「当時としても高級な食材、もてなそうとする思いうかがえる」
この日は町内の日本料理店「二十四節氣神楽(にじゅうしせっきかぐら)」のオーナー武居章彦さんが腕を振るい、雑煮をはじめ、煮物や茶わん蒸し、卵黄のみそ漬けなど10品を調理。関係者らの前でお披露目した。大久保さんは「当時としても高級な食材が使われており、伊能をもてなそうとする思いがうかがえる」と話した。
岩波さんは本陣での料理提供を考えているとし「観光客に本陣の歴史を感じてもらえるようにしたい」と説明。料理については「素材本来の味を楽しめた。大事業に取り組んでいた伊能は『明日も頑張ろう』と思えたのではないか」と話していた。