日本初インドネシア選手主体の新プロ球団 狙うNPB入りと世界4位の2・7億人市場開拓
野中さんも、インドネシア野球と不思議な縁をもっている。日大三高(東京)で甲子園に出場して日大に進んだ野中さんだが、1年で野球部を休部。20年以上野球から遠ざかっていたが、2001年、インドネシアのバリ島に移住して日本人会の野球に誘われたことをきっかけに「多くを与えてくれた野球に恩返しをしよう」と現地でリトル・リーグを立ち上げた。
それを知った同国の野球関係者からバリ州代表監督の要請を受け、弱小チームを強豪に育て上げた。手腕を買われて代表監督に招聘(しょうへい)されると2007年東南アジア大会3位、09年アジア杯優勝と実績を積み上げた。
チーム創設には現地の野球事情を知り、インドネシアの青年・スポーツ省などとも関係の深い野中さんの存在が不可欠だった。
現在はスリランカ代表監督を務めている野中さんはチームについて「野球の実力として日本の大学なら3部リーグくらい、高校でも甲子園出場は難しいでしょう」と厳しい。一方で「若い有望な選手は多いので、将来的には日本のプロ野球(NPB)に指名される可能性はあると思う」とも語る。
■ビジネスの可能性も
気になるのが経営面だが、福原さんによると、今季は北海道から沖縄まで約15社のスポンサーが集まり、「今年から黒字化できそう」という。年俸は「高い選手でインドネシアの平均年収の4~5倍くらい」(福原社長)。宿舎はスポンサー企業が無償提供してくれた嬉野市内のアパートがあり、食事代や光熱費も球団が負担。本塁打や勝利投手など試合毎にインセンティブ(報償金)も用意しているという。
世界4位の人口約2・7億人を抱えるインドネシアにはビジネス面でも期待が大きい。福原さんは「さまざまな企業から、球団を絡めて商品やサービスを売りたいという話が来ています」とビジョンを描く。フィリピン、スリランカ、ベトナムを合わせれば約5億人のマーケットが広がっている。
4月13日に行われた初戦は観客3811人を集めるなど盛況だったが、宮崎に大敗。その後も勝ちがない状況は続くが、選手の意欲は高い。スリランカ出身のサミーラ選手(38)は「チームに貢献してNPB入りすることが夢」と語る。インドネシア出身でチーム主将のリズキー選手(38)は「日本の経験を持って帰って、野球を教えてインドネシアのレベルを上げたい。10年後くらいにインドネシアにプロチームができればいいね」と笑う。軍人や警察官を辞めて来日した選手、妻子を母国に残した選手など事情はさまざまだが、それぞれが「ドリーム」を追い続けている。(中野謙二)