「世界タッグ王者として兄弟三冠戦実現へ」双子レスラー・斉藤ブラザーズの大きな野望
◇30代で覚悟のプロレス転向、業界注目の選手へ だが、二人の力士生活は8年で終わる。ジュンは最高位幕下47枚目、レイは最高位三段目16枚目までしか昇進できず、31歳になる17年に見切りをつけて引退した。 それから全日本プロレスの入門テストを受けるまでの3年間、この兄弟の人生はドラマチックだ。 父が住むアメリカに一度戻ったが、母親を日本でひとりにしておけないと帰国。アウトドア系の仕事がやりたかったレイは、標高3000m近い北アルプスの白馬岳の頂上宿舎に住み込みとして働いた。ジュンは北海道の洞爺湖の温泉街で住み込みとして働いたという。 山小屋の仕事は春先から秋まで。レイはそれ以外の季節になると兄のジュンを誘い、兄弟で沖縄に行って、サトウキビの栽培や葉タバコの植え付けや収穫、北海道に行って酪農や農業など、さまざまな仕事を経験した。そして、季節がくるとまた山小屋へという日々を過ごす。 そうした生活のなかで、レイはYouTubeで九州プロレスの新人のドキュメンタリーを観て心が熱くなった。 「俺は影響を受けやすいんだ(笑)。最初は自分がプロレスをやるとは思っていなかったんだが、昔の全日本とかいろいろなプロレスの試合をYouTubeで観るようになって『俺もプロレスできないかな?』と思って、本気で考えるようになってジュンを誘ったんだ」(レイ) 「レイに誘われた時は、力士生活が長かったからプロレスがどれぐらい厳しいかっていうのをイメージできたし、年齢も考えたら、ちょっと現実的じゃないなと思って、ずっと断っていた(苦笑)。7~8回断っていたんだけど、あまりにしつこいから自分が折れたというか。結局、相撲では成功できなかったんで、ずっと不完全燃焼というかモヤモヤしたものがあったし、最後にもう1回、プロレスで頑張ってみようと」(ジュン) 「でも、誘ったのにはちゃんと理由があって。お相撲さんを辞めたからって、トレーニングもやめて弱くなるのはイヤだったんで、自分もジュンもトレーニングを続けていた。で、自分以上にジュンがまるで趣味のように空いた時間、ずっとトレーニングをやっていたから『普通の仕事をしているよりは、そういう世界で生きたほうがいいんじゃないかな? 誘うべきだ!』と、俺は思った」(レイ) プロレスをやりたいと思っても、すでに30歳を過ぎていただけに門前払いの可能性もある。レイはまず全日本に「履歴書を送らせていただいていいですか?」というメールを山小屋から送った。テストさえ受けさせてもらえれば合格できる自信はあったが、もし断られたら諦めるしかないと思っていたという。 果たして、全日本からの返信は「ぜひ履歴書を送ってください」。それからコロナ禍もあり、入門テストは1年近く経った2020年12月13日の後楽園ホール。34歳の誕生日の6日前だ。 「34歳になる相撲崩れにプロレスは無理だろう」と冷ややかな目を向ける関係者もいたが、二人はこの日に向けてトレーニングを積んでテストに挑み、見事に合格。翌2021年6月9日に後楽園ホールでデビューを果たした。双子レスラーの誕生である。 斉藤ブラザーズがラッキーだったのは、デビュー7か月後の2022年1月に海外修行に出され、同年9月に帰国後は前述のようにブードゥーマーダーズ入りしたことで、先輩後輩の上下関係に悩まされずに自由に暴れ、最短距離でメインイベンターに駆け上がったことだ。 そして、今や兄弟タッグとしてだけでなく、シングルプレイヤーとしても飛躍しようとしている。その第1ステップになるのが来たる8月3日の仙台サンプラザホール大会。ジュンは強豪デイビーボーイ・スミスJr.とのシングルマッチが組まれ、レイは安齊勇馬の三冠ヘビー級王座に挑戦するのだ。 「いくら2月に三冠に挑戦した『チャンピオン・カーニバル』では決勝まで行ったと言っても、結果を出したわけじゃないから、シングルはこれからだ。まずは仙台でスミスJr.をぶっ倒して、仙台で三冠王者になる弟のレイに挑戦してやる。レイには『チャンピオン・カーニバル』の公式戦(4月27日仙台でレイが勝利)での借りを返さないとな」(ジュン) 「本当は俺が2月に三冠に挑戦するはずだったが、右肩脱臼の怪我でジュンに譲っているからな。世界タッグを防衛していくことはもちろんだが、8月3日の仙台で安齊勇馬から三冠を奪って、ジュンの挑戦を受けてやるぜ!」(レイ) 世界タッグ王者のまま、全日本の頂点・三冠戦を戦うというデッカイ野望を胸に、斉藤ブラザーズは8月3日の仙台決戦に向かう。
小佐野 景浩