あの大谷翔平が「人生で一番うまいポテチ」と絶賛した逸品も!カルビーvs湖池屋 「頂上決戦」の行方
あの大谷翔平が「人生で一番うまいポテトチップス」と絶賛した逸品が東京駅に――。 八重洲北口改札内の「グランスタ東京」。駅弁やお土産が並ぶ一角に、その商品は並んでいる。中年の男性客に「大谷のお気に入りは?」と尋ねられた店員は、慣れた様子で「鰹と昆布のうまみだし味(993円)」を指差した。これから出張へ行くのだろうスーツ姿の男性客は、それを3つ購入した。 【画像】カルビーvs.湖池屋 ポテチ頂上決戦「レジェンド・ポテチ」一覧がこちら…! スポーツ紙のMLB担当記者がお菓子好きで知られる大谷に手土産として持参し、「今までで一番いい仕事をした」と言わしめたこの逸品は、カルビーと東京ばな奈がコラボして作った高級ポテトチップス「じゃがボルダ」シリーズの一つだ。 「日本におけるジャガイモ加工食品の7割以上がポテトチップスです。ジャガイモ全体の生産量は’98年から’21年までに3割ほど減少していますが、ポテトチップスの消費量は同期間内で3割ほど増加しています。ポテトチップスは今後も国民食として、老若男女を問わず日本人に愛され続けるでしょう」(食品業界紙記者) ポテトチップスが初めて大衆の前に登場したのは、今から約60年前のことだった。『ポテトチップスと日本人』の著者でライターの稲田豊史氏が話す。 「日本産ポテトチップスの元祖は、’50年に設立されたアメリカンポテトチップ社の『フラ印アメリカンポテトチップ』です。しかし、この商品は菓子屋に置かれることはなく、一部の高級なバーやホテルなどで提供される酒のおつまみとして、富裕層に食べられていました。そんなフラ印のポテトチップスを食べて感銘を受けたのが、湖池屋の創業者である菓子職人の小池和夫氏でした。小池氏は『これを子供のおやつにしよう』と考え、’62年に『湖池屋ポテトチップス のり塩』を発売。販売価格は150円と、当時のスナック菓子に比べれば割高でしたが、菓子問屋に流通させることで庶民の手に渡り、爆発的なヒットを記録しました」 アメリカからの″舶来品″だったポテトチップスに、馴染み深い海苔の風味を掛け合わせ、少量の唐辛子でキレ味を出す。湖池屋が生み出した和製ポテトチップスは、現在も同社の主力商品だ。 東京に本社を構える湖池屋は’67年にポテトチップスの量産化に成功したが、大きな流通網がなかったことから、関東地方を中心に商品を展開していた。当時の業界人は、「ポテチは箱根の関を越えられない」と話していたという。そんな状況が10年ほど続く中、西日本に新星が現れた。広島に本社を置いていたカルビーだ。 「カルビーは’64年に『かっぱえびせん』という空前のヒット商品を発売し、全国的な流通網を獲得していました。しかし、ポテトチップスの製造にはジャガイモを加工するノウハウが重要。そこで湖池屋に後れを取っていたカルビーは、ポテトチップスに参入できずにいたのです。’72年、カルビーはかっぱえびせんの姉妹商品として、同年に開催された札幌五輪にちなんで命名された『サッポロポテト』を発売。小麦粉とジャガイモを使う同商品の開発で、ジャガイモの仕入れや加工のノウハウを手に入れました。そして、その3年後の’75年に満を持して発売されたのが、『Calbeeポテトチップス うすしお味』だったのです」(稲田氏) ◆カルビー帝国の誕生 「うすしお」は売れに売れ、ほどなくしてカルビーはポテトチップスの全国シェア1位に躍り出たのだが、その時点での湖池屋との差はわずかなものだった。そこで、ロケットの第2エンジンのごとくカルビーを上昇させたのが「コンソメパンチ」だった。″日本一のお菓子好き″を豪語するお菓子勉強家の松林千宏氏が話す。 「3代目社長の松尾雅彦氏がコンソメスープを飲んで思いついたそうです。そのこだわりは凄まじく、コンソメスープを一から作ってパウダーにし、それを振りかけて製造しています。後発の他社は、スープから作るようなことはしませんから……。また、後味をサッパリさせるために梅肉パウダーを使っているのも特徴。コンソメの旨みと梅の酸味という和洋折衷でヒットを生み出しました」 カルビーの勢いは止まらない。’92年には、これまたロングセラー商品となった「ピザポテト」を生み出した。 「ポテトチップスにチーズを融かしつけてピザの味を再現する『メルトフレーク製法』を編み出した。この商品にカルビーの技術力が詰まっています」(同前) 流通網、ジャガイモの目利き、そして商品開発力。このすべてを結集し、カルビーは現在、市場全体の7割というとてつもないシェアを記録している。 一方の湖池屋は、「カラムーチョ」という大ヒット商品を生み出したものの、人気だったのはどちらかと言えばスティックタイプ。ポテトチップスの新たなヒット商品にはなかなか恵まれず、’09年に創業者が逝去。’12~’13年には2期連続の赤字を記録するなど苦しい状況が続く。’14~’15年には「みかん味」「もも味」を出すなど迷走を極めていた。 「現会長の小池孝氏は、会社を根本的に変える必要があると考え、’16年に元キリンビバレッジ社長の佐藤章氏を新社長に指名しました。同氏はキリンで缶コーヒー『FIRE』や『生茶』をヒットさせた実力者。就任するやいなや、『牛乳味』など珍奇な商品開発を中止させ、素材の旨さを調理で引き出す『料理人がいる湖池屋』というビジョンを示したのです。その先兵となったのが、’17年発売の『プライドポテト』。素材にこだわりぬき、高級感を前面に打ち出した商品です。フレーバーも『松茸香る極みだし塩』など、高級感のあるものに。オフィスでもデスクに置いて食べられるように自立型のパッケージを採用し、裏面には職人の写真を載せて『和の料理』というイメージを打ち出しました」(前出・稲田氏) プライドポテトは初年度から大ヒットし、現在では湖池屋を代表するブランドとして定着。その後も’18年にリニューアルされた「ピュアポテト」や、「The 素材のご馳走」(’23年発売)が話題を呼ぶなど好調だ。 「カルビー社員は『やられた!』と思ったでしょう。なぜなら、カルビーだって原料の品質にこだわりを持っているし、むしろ技術は業界最高峰。それを前面に押し出していなかっただけだからです。しかし、現在では『大衆的で馴染みのあるカルビー』と『職人感のあるクオリティ主義の湖池屋』というイメージが市場に浸透してしまった。これが佐藤社長の手腕なのだと感服しましたよ」(同前) リードしていたはずのライバルに逆襲されたカルビーは、湖池屋に追随する形で’19年に「ザ・ポテト」、’21年に「クラフトカルビー じゃがいもチップス」といった高級路線に参入したが、この戦場では湖池屋に分があった。 「次なるトレンドは、健康志向を背景にした食塩不使用のポテトチップスだと思います。’20年に『プライドポテト 芋まるごと 食塩不使用』が話題を呼んだ湖池屋が、ブームを牽引するでしょう」(同前) 圧倒的王者を前に一時は″自分″を見失っていた古豪が、革新的なリーダーの旗振りのもと、新たな戦術で新時代を切り拓く――。まるで漫画のようなドラマチックな展開が起こっているのだ。至高のカルビーと、究極の湖池屋。ポテトチップス業界の第2次頂上決戦はまだ続く。 『FRIDAY』2024年3月15日号より
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