貴景勝、武士のような義理堅さ 恩義忘れず師匠より前に出ない 質問無視にも後から「ごめんね」
<こんな人> <大相撲秋場所>◇14日目◇21日◇東京・両国国技館 元大関の関脇貴景勝(28=常盤山)が21日、東京・両国国技館で引退会見に臨んだ。10年間の現役生活を終え「悔いは全くない。燃え尽きた。素晴らしい相撲人生だった」とすがすがしい表情で振り返った。 ◇ ◇ ◇ 初日を3日後に控えた今月5日。都内の部屋で稽古を終えた貴景勝がポツリとつぶやいた。 「この子たちが相撲界の未来だから」。掃除する若い衆を見つめながら、ほほ笑んでいた。場所前は首痛で相撲を取る稽古ができず、ぶっつけ本番だった。1場所で大関復帰がかなわなければ-。この時点で引退も覚悟し、親方の顔をのぞかせていたのだろう。現役最後の取組は埼玉栄高の後輩でかつての付け人、元横綱大鵬の孫の前頭王鵬。ここにも「未来」への期待がうかがえた。 大関昇進の伝達式で「武士道精神を重んじ」と口上を述べた。入門時の師匠、貴乃花親方の「貴」と戦国武将上杉景勝の「景勝」を合わせたしこ名。景勝は貴乃花親方が好きだった上杉謙信の後継者で、同親方は自身の後継者と期待していた。そして本名の「貴信」の「信」は織田信長が由来。武士にまつわる名の通り、敗れても「弱いから」と言い訳はしなかった。 義理堅さも武士のようだった。貴乃花親方が相撲協会を退職し、常盤山親方(元小結隆三杉)の弟子となった。引き取ってくれた新師匠への恩義は忘れない。優勝すれば必ず「師匠のおかげ」と語り、部屋では師匠の右腕として若い衆を指導した。兄弟子だった当時十両の貴ノ富士が、付け人への暴力問題に揺れていた時には「師匠がこの件について話していないのに、一力士の俺が話すわけにはいかない」と、絶対に師匠よりも前に出なかった。ただ記者がこの問題の質問をした際に無視した形になったことには、後になって「ごめんね」とこっそり言ってきた。誰に対しても義理堅い人だった。【高田文太】