坂本冬美の『モゴモゴ交友録』たかたかしさん(90)ーー 「成長を見守りながら、今の冬美に合った詞を書いている」ぼそりと呟いた金言
デビューする前からわたしのことを知っていてくださり、今日までずっと見守り続けてくださっているのが、作詞家のたかたかし先生です。 【写真あり】坂本冬美をもっと見る 恰幅(かっぷく)がよくて、見た目はとっても穏やかな先生ですが、胸の内には熱い情熱がびっしりと詰まっています。お書きになった作品を見ると、それがよくわかります。 美川憲一さんの『ネオン化粧』(1967年)、西城秀樹さんの『情熱の嵐』(1973年)、松崎しげるさんの『愛のメモリー』(1977年)、五木ひろしさんの『おまえとふたり』(1979年)、美空ひばりさんの『おまえに惚れた』(1980年)、都はるみさんと岡千秋先生の『浪花恋しぐれ』(1983年)などなど……ジャンルを超えた作品は、たか先生そのものです。 これは後で聞いた話ですが、わたしが出演したNHK『勝ち抜き歌謡天国』収録後の電車の中で、猪俣公章先生と「彼女の目力はすごいよ!」「猪ちゃん、一緒にやろうよ!」と、ヒソヒソと、でも熱く思いを語ってくださっていたそうなんです。 そのお言葉どおり、わたしのデビュー曲『あばれ太鼓』の詞を書いてくださったのが、たか先生でした。 そうです、わたしが猪俣先生に向かって恐れを知らず「これは売れないと思います!」と言い放ち、「バカヤロー!」と一喝されたという逸話が残っているあの歌です。 でも、これにはもうひとつ話がありましてーー。 このちょっと前に、生死の間をさまよう大病をされたたか先生が、死生観を歌に投影されたということを知らず、「どうせ死ぬときゃ裸じゃないかって……何これ、う~ん……」と、ついうっかり心の中で呟いてしまったのです。若気の至りといいますか、親の心子知らずといいますか、大きな穴を自分で掘り、その穴に飛び込みたいくらいの気持ちです(苦笑)。たか先生、本当にごめんなさい。 謝りついでにもうひとつ。あれは、内弟子という名のお手伝いさん兼運転手をしていたときのことです。 猪俣先生のご自宅から、途中たか先生のご自宅に寄って、千葉県柏市のゴルフ場まで運転手を務めることになっていたのですが……ハッと目を覚ましたときには、出発時間を過ぎていました。 何!? 何があったの? もしかして、天変地異の前触れかも? などということは、ありません。誰がどう考えても、ただの寝坊です。やっちまったなーです(苦笑)。 「バカヤロー!」 猪俣先生の怒鳴り声を背に浴びながら、顔も洗わず車を出して、たか先生のご自宅に向かってアクセル全開です。 中原街道まで出て待っていてくださったたか先生に、「すみませんでした」と平謝り。 たか先生が「猪ちゃん、もういいから」と、取りなしてくださいましたが、猪俣先生の怒りは収まりません。 もう、ゴルフ場に着くまで、ず~~~~~っと「お前が寝坊するから、たか先生を待たせちゃったじゃないか!」と、怒られっぱなしでした(苦笑)。 おしゃれで、いくつになっても熱い情熱と男の色気があって、目の奥には凄みを漂わせていらっしゃるたか先生には、いくら感謝してもしきれないほど、かわいがっていただきました。 「僕はね、冬美の成長を見守りながら、今の冬美に合った詞を書いているんだよ……」 ぼそりとおっしゃった言葉は、一生忘れることのできない、わたしの大事な大事な宝物です。 歌手・坂本冬美の原点は、猪俣先生と、たか先生にいただいた『あばれ太鼓』。これからも、感謝の気持ちをこめて大切に歌っていきます。 さかもとふゆみ 1967 年3月30日生まれ 和歌山県出身『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』『ブッダのように私は死んだ』など幅広いジャンルの代表曲を持つ。現在、最新アルバム『想いびと』が好評発売中! 写真・中村 功 取材&文・工藤 晋
週刊FLASH 2024年12月3日号